米国アトランタにあるエモリー大学ゴイズエタビジネススクール(Emory University Goizueta Business School)の日本人在校生によるブログです。
当校のプログラムやアトランタでの生活について書いています。
2008年5月31日土曜日
アメリカ文化紹介~其の三十六
上の写真は先日Nike Run Club(「Goizuetaでの生活~其の六十一」参照)のあとに食べに行ったベトナム料理のものです。
一緒に行った方によると、本来のベトナム料理とはちょっと違う、アメリカ系のベトナム料理だそうです。
でもとてもおいしかったです。
日本人はよく麺好きといいますが、僕も麺は大好きです。
今は熊本のこってりしたとんこつラーメンが食べたくてたまりません。
さて、本日は先日ConyersのDriver's License Customer Service Centerの際の話(「アメリカ文化紹介~其の三十五」参照)の続きです。
アメリカでは一部の大都市の中心地を除き、車なしで生活するのは非常に不便です。(といいながら僕は車なしで生活していますが)
高校生でさえ普通に車で通学するくらいです。
よって、アメリカに住むとなったとき最初にすることの一つは、免許を取り、車を買うことであるという人は多いと思います。
しかしこの免許取得はそう簡単ではありません。
まず、日本のように事務が手早く行われないのです。
僕は最初からあきらめていたので気になりませんでしたが、お世辞にも手際がいいとはいえません。
順番がまわってくるまでの待ち時間は非常に長く、対応も親切とは言いがたいものがあります。
僕が外国人だからかもしれませんが、重要なことを再確認しようと思って最後に要点を自分でまとめ、「これでいいですよね。」といっても無言です。
そしてそれでもこちらが「お願い!」という顔で見つめると「さっき言ったとおりです。」といわれてしまいました。
これはアメリカではよくあることなのですが、実はその反応こそが、「それで相違ありません」という意味なので、僕の目的は一応達成されています。
ただ、これをはじめてやられると人によっては非常に悪い印象を持ってしまうわけで、「散々待たされた挙句なんだその態度は」となってしまうわけです。
一緒に行った中国人の同級生も実技テストの予約の時間に行ったら「ガソリンが入っていない」(満タンではなかったにせよ、ちゃんと入っていましたが)といわれて急いでガソリンを入れて帰ってくると、「予約の時間に来なかったから」といわれてテストを受けられませんでした。
細かい事情は把握していないのですが、正直ひどすぎるなあと思いました。
しかし、このようなことにくじけていてはアメリカでは生活してはいけません。
そのような対応をされたら、相手がそういう対応を出来ないくらいの英語力、交渉力、そして器の大きさを身につけるしかないのです。
といってもそんなことがすぐに出来るわけはないから皆苦労しているんですね。
Goizuetaでの生活~其の八十
上の写真は本日のサッカーのものです。
今年度最後のサッカーで、卒業生を見送る意味を込めてのものです。
何回もサッカーをしましたが、毎回とても楽しかったです。
このメンバーとサッカーをやるのも最後かと思うと、なんだかとても悲しくなってしまいます。
サッカーをやるのはやはりラテンアメリカから来た人が多いのですが、今日も半分くらいはラテンアメリカ出身者でした。
そしてやはり最初から最後までラテンアメリカンでした。
7時開始の予定を一部参加者の都合で6時半にはやめたのですが、6時半には誰も来ません。
結局試合が始まったのは7時過ぎでした。
最初から7時過ぎにしておけばよかったのにとも思えるのですが、そのようなことにこだわっていてはこの国では暮らせません。
誰が6時半開始にしようと言い出したかなども気にして入られません。
楽しくサッカーができればいいのです。
実際の試合では、いつもどおり走りまくりました。
写真の背景に見えるようになぜか途中からスプリンクラーが回り始めたのですが、それでも試合が中断することはありません。
ただ下が滑りやすくなったので、ちょっとプレーしにくくはなりました。
今日は右側頭部というかこめかみのしたあたりに至近距離から思いっきりボールが当たってしまったのですが、アドレナリンが出ていたせいかあまり痛くなかったです。
これまではもろに当たったことがなかったので、ついに当たったかという感じです。
少し首がずれたような気もしたので、今はまったく痛くないのですが、明日の朝起きたら痛いのかもしれません。
でも、今日ばかりはそれもいい思い出になりそうです。
この時期は卒業シーズンで、早い人はもう働き始めています。
アメリカは日本と違って働き始める時期がばらばらです。
仕事が始まるのは10月という人もいるのですが、それまで何をするのでしょうか。
何はともあれ、そんな話をしながらも、別れを惜しんでいます。
中にはもう二度と会わない人もいるわけで、そう考えると感慨深くなります。
学校や会社というのはそういうものではありますが、毎日のように会っていた人と突然会わなくなるというのは、気持ちの整理がそう簡単につくものではありません。
でも、今日一緒にサッカーをした友達をはじめ、この一年間で仲良くなった友達とはこれからも一生友達でい続けると思います。
2008年5月29日木曜日
アメリカ文化紹介~其の三十五
上の写真は昨日行ったConyersというところにあるDriver's License Customer Service Centerのものです。
というわけで、昨日はDriver's Licenseを取るためのLearning Permit(日本でいうところの仮免)を取得しました。
Learning Permitを取得するためには、書類をそろえて提出し、学科試験を受けなければいけません。
法律に関する文章題20問、標識に関する問題20問で、それぞれで75%以上の正答率(つまり15問以上正解)を達成しなければなりません。
僕はなんと75%、90%という非常にぎりぎりでの突破でした。
もう一回受けたら落ちるかもしれません。
特に初めに受けた文章題では、最初の5問中3問を間違えてしまい、大いにあせりました。
落ちたらかなり痛いし、それにかなり格好悪いなと。
ちなみにこの試験に落ちると、学校でネタにされたりします。
それはそれでおいしいのですが、やはり落ちたくはありません。
しかし、何はともあれ奇跡的に次の15問中2問しか間違えなかったので、文章題を突破することが出来ました。
19問目で5問目の不正解をしてしまったので、20問目はかなりどきどきでした。
標識のほうは比較的簡単であり、さくっと終わりました。
アメリカではいわゆる教習というようなものはないようで、学科試験を受けて、それから実技試験を通ったら免許証が交付されます。
アメリカは車社会だから、いちいち教習などしていられないのかもしれませんし、またお金がない人が教習所に通えなかったりするのかもしれません。
Learning Permitを取得すると、免許所持者同乗のもとで運転をすることが出来ます。
それで練習をし、それから運転免許を取得するということでしょう。
Learning Permitは10ドルで取得することが出来ます。
それをDriver's Licenseに切り替えるのには40ドルです。
日本では確か全部で20万円程度はかかった記憶があるので、日本とはかなりの差がありますね。
運転免許を取得するということはアメリカに来て最初にすることである、という方も多いと思いますし、また同時にアメリカの洗礼を最初に受ける場所でもあります。
そのあたりはまた時を改めて紹介させていただきたいと思います。
2008年5月28日水曜日
アメリカ文化紹介~其の三十四
上の写真は先日も紹介させていただいたAtlanta Dreamの試合(「アメリカ文化紹介~其の三十三」参照)の様子です。
ハーフタイムの間にSean Kingstonという歌手のミニライブが行われました。
このSean Kingstonという歌手は最近では結構人気のある歌手だそうで、そのような人を招いていることからも、いかにこの試合を盛り上げようと必死であったかが伺われます。
日本でもスポーツの試合の始球式やテレビ放送にそのスポーツとはまったく関係ない人を登場させたり、またその試合とはまったく関係のないほかのテレビ番組の宣伝を試合中にすることがあり、そのような姿勢を批判する意見も聞かれます。
その際にアメリカではそんなことはありえない、という見解もあるのですが、僕が今まで見た限りでは、アメリカでも似たようなことが起こっているのです。
スポーツも一つの立派なビジネスとして成立してしまっている以上仕方がないかもしれないですし、このような現象はこれからも拡大していくのではないでしょうか。
確かにこのミニライブのときはとても盛り上がっていましたし、「Atlanta Dreamの試合だけならあまり行く気はしないけど、ハーフタイムにSean Kingstonのライブがあるのなら行こうかな」という人もいたのではないでしょうか。
そのあたりはこれからビジネスとしてのスポーツが対処していかなければいけない課題かもしれません。
このような現象からもうかがえる昨今のスポーツが抱えている問題の一つは、「素人をいかにしてひきつけ、そしていかにして玄人化させるか」です。
玄人の人数よりも素人の人数のほうが多いことは確かであり、そもそも玄人はそのスポーツのファンである可能性が高いのです。
よって、素人は新しい市場であり、そこを狙っていくことによって市場の拡大を図るのです。
しかし、素人はちょっとつまらないと思うと、すぐにそのスポーツから興味を失ってしまいます。
つまり、素人を玄人化しなくてはいけないのです。
ところが、素人と玄人では楽しみ方が違うのです。
今回の試合で例えるなら、素人はSean Kingstonのライブをとても楽しみにしているのですが、玄人はバスケットボールを見に来ています。
その玄人の中には「Sean Kingstonをよばなければチケットの値段をもっと安く出来るのではないか」と考える人がいるはずです。
また長くなってしまったので、明日以降続けさせていただきます。
Goizuetaでの生活~其の七十九
上の写真は先日も紹介させていただいたNike Run Club(「Goizuetaでの生活~其の六十一」参照)のものです。
というわけで、アメリカ人とジョギングとのかかわりについて、ちょっと感じたところを紹介させていただきたいと思います。
アメリカ人はとにかくジョギングが好きです。
というかジムにいったりして体を動かして汗を流すのが好きです。
言い方を変えれば、好きというよりもそうすることが「美徳」となっているような感じです。
あくまでも私見ですが、それは「太る」ことへの抵抗感から来ているような気がします。
アメリカ人は太ることへの抵抗が非常に強く(実際に太っている人が多いかどうかは別にして)、そのために一生懸命体を動かしているのです。
走ることも、「健康であること=太っていないこと」へつながっているのだと思います。
逆に言うと、早く走ることはそんなに尊敬されません。(もちろんタイムを競っている人はいます)
たとえばこのNike Run Clubでも、走ること自体を目的としており、タイムを計るのもあくまで自己管理のため、といった感じです。
走っているときに、他人よりも早く走ろうというような雰囲気はあまりありません。
そのあたりは日本人とちょっと感覚が違うところで、僕などはどうしても「どうせ走るのなら早く走りたいし、他の人よりも出来ることなら早く走りたい」と思ってしまいます。
しかしそのような感覚を持っているアメリカ人はあまりいないようです。
日本人にとって不思議なのは、走ったりジムに行ったりすることにアメリカ人はお金をかけることです。
以前も紹介させていただいたかもしれませんが、お金をかけてハンバーガーやフレンチフライやポテトチップスを食べて、さらにお金をかけて汗を流し、運動をするための靴や時計や洋服にお金をかけるという文化は日本にはないものです。
僕は走るときはTシャツに短パン、靴もセールで買った20ドルくらいのスニーカーなのですが、他の人のほとんどは上から下までばっちり決まっています。
iPodなどを聞きながら走っている人も多く、ちょっとうらやましかったりします。
また、当然といえば当然ですが、このような機会が社交の場になっていることは確かです。
趣味を共有しているわけですし、レースに出るのであれば、練習方法などの情報を交換することも出来ます。
Nike以外にもこのような機会は結構あるようです。
2008年5月26日月曜日
Goizuetaでの生活~其の七十八
上の写真は昨日行ったアトランタ近郊のCircle Sushiで食べた昼食の様子です。
留学して以来始めて外に日本料理を食べに行ったのですが、久々の刺身ということもあり、とてもおいしかったです。
しかも中段にはうなぎまで入っており、値段は10ドルというお得感、これは日本でも安いと思える値段ではないでしょうか。
もしアトランタに住んでいる方がいらっしゃったら是非お勧めしたいお店です。
さて、留学して以来始めて外に日本料理を食べに行ったと先ほど述べましたが、それには多少自分なりの理由があります。
・日本と味が違う(ことが多い)。
・値段が高い。
・何らかの日本料理であれば自分で作れる。
・せっかくなら日本料理以外のものを食べてみたい。
などです。
特に一番目ですが、これには理由があります。
現在のアメリカ、特に東海岸には、中国人や韓国人に比べて日本からの移民があまりいません。
日本人居住者の多くは駐在員か留学生などです。
つまり、日本料理屋の多くは日本人以外を相手として商売をしているのです。
となると、どうしても味を変えてアメリカ人用の味にしてしまうのです。(東京に進出する際に味を変える九州のラーメン屋のようなものでしょうか)
ちなみに必ずそうというわけではなく、日本流の味を守っている店もちゃんとあります。
ただ、そういう店を探すのにはある程度の資本投下を覚悟しなければいけません。
たとえばですが、日本では寿司にアボガドが入っていることなど考えられませんが、アメリカ人によってはカリフォルニアロールをはじめとして、アボガドは主要寿司ネタの一つだと考えている人もいます。
また、Hot Tunaというものがあるらしく、これはどうやらマグロとチリソースをあえたものらしいのです。(僕は食べたことがないので詳しいことはわかりません。)
以前アメリカ人から「私寿司が大好きなの、特にHot Tunaなんて最高!」といわれ、「Hot Tuna? 日本語でなんていうんだろう、思い浮かばないなあ。。。」としばし考え込んでいました。
そのアメリカ人は「マグロとチリソースうんぬん、、、」と一生懸命説明してくれたのですが、途中ではっと気づいたように、「これってもしかして日本にもともとある寿司じゃないの?」と自分で気づき、大いにショックを受けていました。
日本人がカレーを日本流にアレンジしているのも同じようなものでしょうから、もちろんいい悪いではないのですが、やはり日本人としては寿司にアボガドやチリソースはちょっと抵抗があります。
今回いい寿司屋に当たったので、また機会があったらほかの日本料理やにもトライしてみようと思います。
2008年5月25日日曜日
アメリカ文化紹介~其の三十三
上の写真は昨日見に行ったWNBAのAtlanta Dream vs Detroit Shockの試合前の様子です。
Atlanta Dreamの首脳が挨拶をしているところです。
さて、昨日の続きですが、WNBAおよびAtlanta Dreamのビジネスとしての可能性です。
昨日も紹介させていただいたとおり、どうしてもNBAと比べてしまうと迫力に欠けることは否めません。
そして、実際に昨日の試合でも観客の入りはどう見てもいまいちでした。
現在のプロスポーツはチケットセールスで稼ごうとは思っていませんが、それでも観客は試合会場の雰囲気を作るうえで非常に大事な要素なのです。
基本的には広告や放映権で稼ぐのですが、その時に価格を決める重要な要素の一つが観客の数と試合会場の雰囲気なのです。
そのような前提を考慮したときに、広告や放映権を相応の値段で売れるほどコンテンツに魅力があるかと考えると、どうしても疑問を抱かざるを得ないのです。
チケットの値段もそれほど安いわけではないですし、Tシャツやジャージなどのグッズもそれなりの値段です。
ハーフタイムやタイムアウトの際に行われるアトラクションも、それはそれで楽しいのですが、やや陳腐化している感もあり、それだけで観客をひきつけることが出来るとは考えにくいのです。
ではWNBAにあってほかにはない魅力があるかといわれると、特に思いつかないというのが現状です。
ただ一つあるのは、四大スポーツではバスケットボール以外には女性のリーグはなく、これからも出てこなさそうだということです。
つまり、特に若い世代の女性の憧れの的にはなりうると考えられるわけです。
また、オリンピック競技であるので、オリンピックでうまく弾みをつけて注目度を増していくという戦略も考えられます。
というわけで、WNBAの将来はそんなに明るいとはいえなさそうではあるのですが、かといって可能性がまったくないわけでもありません。
女性の社会進出はアメリカでも依然として大きなテーマであり、その点ではWNBAの存在は重要なのです。
しかもアメリカは地元チームを徹底的に愛する国です。
我らがAtlanta Dreamをこれからも応援していきたいと思います。
アメリカ文化紹介~其の三十二
上の写真は今日見に行ったWMBAのものです。
記念すべきアトランタ初のWNBAです。
ちなみにWNBAとはアメリカのプロバスケットボールリーグです。
本日の試合はAtlanta Dream vs Detroit Shockでした。
結論から言うと88-76で我らがDreamは敗れてしまいました。
前半終了時には13点リードしていたのですが、第3Qに追いつかれ、そのままの勢いで第4Qに引き離されるというなんともさびしい展開で記念試合を飾ることが出来ませんでした。
今回もたまたま友人にチケットをもらうことが出来、せっかくだから行こうという話になったのです。
WNBAの試合を見るのは初めてだったのですが、試合会場はアトランタ初の試合ということもあってか非常に盛り上がっていました。
歓声もDreamに対してのものがほとんどで、ホームコートアドバンテージをここまで感じた試合は初めてです。
心なしか審判の判定もDreamに有利だったような気がします。
それでも負けてしまったのですが。。。
ただ、それはそれであくまでその空間を楽しむというアメリカ人魂は健在でした。
いまやお決まりになっている間もあるハーフタイムの間などのイベントも豊富で、WNBAにもバスケットボールにも興味はなくても楽しめるようにはなっています。
しかし、現実的に見ると、やはりビジネスとしてのWNBAの可能性には疑問を持たざるを得ませんでした。
まず、観客が少なすぎます。
本日の観客数は1万人強だったそうです。
その割りに盛り上がっていたのはさすがアメリカという感じですが。
記念すべき試合ということを考えるとこの数字はどう考えても低く、また実際に空席が結構ありました。
WNBAはあまり浸透していないとはいえ、バスケットボールはアメリカ人であれば誰もが知っているスポーツです。
チケットも、今日の試合に関しては、実際に売ったもののほかにかなりの量を配っていたことが予想されます。
そして肝心の試合内容ですが、やはりNBAと比べてしまうと迫力に欠けることは確かです。
ダンクがすべてではないのですが、やはりダンクのないプロバスケはダンクのあるプロバスケに比べると魅力にかけるものになってしまいます。
それ以外にも、ドリブル、パスなどの時点からそもそもスピード感にかけますし、技術的にもやはりちょっと、、、と思ってしまう点がありました。
NBAと比べること自体が間違っているのかもしれませんが、やはりプロバスケである以上どうしても比較してしまいます。
ちょっと長くなったので、また続けさせていただきます。
2008年5月23日金曜日
Atlanta Bravesの選手紹介~其の二
本日は昨日に続いてAtlanta BravesのChipper Jones選手の紹介です。
上の写真は先日野球を見に行ったときのJones選手の写真です。
野球好きの人ならこの写真を見た瞬間に「完璧!」とうなるかもしれません。
いつ見ても美しい打撃フォームです。
というわけで本日はChipper Jones選手の紹介の続きです。
Jones選手はデビュー以来Braves一筋で、文字通りBravesの顔であります。
怪我をおして試合に出場してきちんと結果を残したり、野球に対するプロとしての姿勢を若い選手に教えるなど、チーム全体によい影響を与えることの出来る選手です。
事実、MLBのオフィシャルサイトの記事などによると、監督やコーチが言わなくてもJones選手が若手選手にアドバイスをしたりしているそうです。
そんなJones選手のことを僕はEmory大学へのエッセイに書きました。
そして電話面接でもJones選手の話をし、今考えるとJones選手のおかげでアメリカに留学できたようなものです。
ビジネススクール受験では「個性」が問われます。
Jones選手のことを書くのはかなりの賭けではあったのですが、今になって振り返ると非常に的を得た選択だったと思います。
エッセイを書くときはどうしても誰にでもわかる大きなネタを選びたくなってしまいますが、そのようなネタをもっている人は少ないでしょうし、逆に陳腐化してしまう可能性があります。
小さなネタでも、読み手に「面白い」とか「初めてだな」とか思えるようなネタのほうがよいのかもしれません。
ちなみに非常に個人的な思い出ですが、僕は日本でChipper Jones選手に会ったことがあります。
東京は御茶ノ水にあるエスポートミズノに、ミズノとアドバイザリー契約をしているJones選手が来たのです。
当然たまたまあったわけではなく、事前に調べてから張り込みました。
あのエレベーターから出てきたときの感動は今でも忘れません。
2時間くらい待ったのですが、そこにJones選手が来ると知っていたのはミズノの方と記者の方二人と僕だけだったので、非常においしいチャンスでした。
実質的に倍率は3倍だったので、サインや写真はもちろんのこと、短い時間の中で個人的に話をしてもらうことも出来ました。
ほかの方はJones選手を知らなかったようで、なぜ新聞記者や僕がそんなに緊張しているのかわからない、といった感じでした。
今年は是非4割、三冠王、2度目のMVPを達成し、BravesをWorld Championに導いてほしいものです。
2008年5月22日木曜日
Atlanta Bravesの選手紹介~其の一
上の写真は昨日野球を見に行ったときのオーロラビジョンの様子です。
さて、本日からは新しいテーマを紹介していきたいと思います。
その名も「Atlanta Bravesの選手紹介」です。
夏休みで学校ネタがどうしても拾いにくいので、どうせなら自分が書きたいことを書こうと思った次第です。
というわけで、第一回はこのオーロラビジョンにも写っているChipper Jones選手です。
Jones選手はすでに通算で2000本以上の安打を放っているMLB史上屈指のスイッチヒッターで、殿堂入りも狙える選手です。
しかも、今年はここまで4割以上の打率をキープしており、Ted Williams選手以来の4割達成を狙える位置にいます。
また、本塁打と打点次第では三冠王も夢ではありません。
1990年に全米一位でBravesにドラフト指名されましたが、当時はJones選手よりも有望といわれていた選手がおり、しかもBravesのドラフトが当時失敗続きだったこともあって、全米一位に値する選手かどうかを疑う声もありました。
その有望選手が当時弱小球団であったBravesへの入団を拒否する姿勢を示していたのです。(ドラフト前は大学進学を表明していたのですが、結局当時強豪であったAthleticsに入団しました。)
しかし、入団後は順調にマイナーを駆け上がり、「将来のMLBを背負う選手」と全米一位指名に恥じない大きな期待をされるまでになりました。
ところがルーキーシーズンとなるはずであった1994年のオープン戦で左ひざの靭帯断裂という大怪我に見舞われ、シーズンを棒に振りました。
そして1995年がルーキーシーズンとなったのですが、あの野茂英雄選手と新人王を争ったことを覚えていらっしゃる方も多いかもしれません。
そのあとは1999年にNational LeagueのMVPを獲得するなど、順調にキャリアを重ねていました。
しかし1994年の怪我以来怪我の多い体質になってしまい、ここ数年は怪我に悩まされ欠場することが多くなりました。
それでもMLB史上屈指の打撃技術とその野球に対する姿勢への評価は依然として高く、2006年のWorld Baseball Classicでは、初戦はベンチスタートだったものの、最終戦ではAlex Rodriguez選手を押しのけて4番三塁に座りました。
日本戦での巨人の上原選手からの本塁打をおぼえていらっしゃる方も多いかもしれません。
長くなったので、また明日以降続けさせていただきます。
Goizuetaでの生活~其の七十七
上の写真は今日見に行ったBravesの試合のものです。
この試合もNew York Mets相手に6-1で快勝し、試合後にベンチに戻っている様子です。
内野まで天然芝が広がっているのは、アメリカならではです。
アメリカでは当たり前のことですが、やはり青々とした天然芝は日本人にとっては永遠の憧れです。
今日の試合はPete君(「アメリカ文化紹介~其の十」参照)に誘ってもらいました。
券が一枚余っているから行かないかと昨日メールをもらい、二つ返事で行くことにしました。
先日に続いて今期二度目のTurner Fieldです。
しかも2回ともただで見ることが出来るという幸運でした。
僕が大のBravesファンであることを知っていてくれたから誘ってもらえたのかもしれません。
人に誘ってもらうというのはいつでも嬉しいものですが、やはりアメリカに来てアメリカ人に誘ってもらうと、「少しはアメリカに溶け込めたかな」という気がします。
ちなみにPete君はNew Jersey出身で、Metsファンです。
さて、今日の試合はTom Glavine投手がBravesの先発でした。
Glavine投手はすでに300勝している殿堂入り確実のベテラン投手です。
今日も初回に失点したものの、そのあとは6回まで無安打投球という安定感抜群の投球内容でした。
シーズン序盤は不安定だったリリーフ陣も安定してきて、7回以降を無失点に抑えました。
打ってはBrian McCann選手が本塁打を含む2安打3打点の活躍でした。
これまで調子が上がっていなかったMark Teixeira選手も3安打を放ち、これから期待できそうです。
守備や走塁のミスもほとんどなく、しまったいい試合でした。
本日の試合は4月に雨で中止になった試合が延期されたものです。
よって、本日はダブルヘッダーとなっており、その第一試合を見に行ったのです。
日本のプロ野球ではダブルヘッダーはほとんどありませんが、シーズン序盤であってもダブルヘッダーでどんどん試合を消化していくのはアメリカならではです。
平日の昼間の試合だけあって、観客の入りはいまいちでした。
それでも2万7千人近く入っていたのですから、アメリカはどうなっているんだろうと思ってしまいます。
天気予報が悪く試合が行われるかどうか正直不安だったのですが、無事晴天に恵まれました。
アトランタは今が一番いい季節かもしれません。
昼は暖かく、朝晩はちょっと涼しいかな、という感じです。
2008年5月20日火曜日
Goizuetaでの生活~其の七十六
先日Turner FieldにBraves対Athletics戦を見に行きました。
7時半試合開始だったのですが、5時過ぎに突然メールが送られてきて、「余った券が学校にあるから、誰か欲しい人は取りに来い。」といわれました。
ちょうど暇だったので、せっかくだからという感じですぐに飛びついたしだいです。
上の写真はそのときの券の引渡しの様子で、Admissions Officeの前にテープで張られていました。
試合は3対2にで我らがBravesが勝ちました。
特に試合序盤は両チームに山ほどミスが出て、本当にひどい試合だったのですが、終盤になると試合がしまってきました。
2点を先制されたのですが、試合後半に3点を取ってそのまま逃げ切るという終わってみれば理想的な展開でした。
あのまま負けれていたら夜も眠れないほど悔しかったことでしょう。
ちなみにこの試合はインターリーグ(交流戦)の試合であり、普段はアメリカンリーグに所属しているAthleticsとは対戦しません。
Athleticsは1990年前後は屈指の人気チームだったので、今でも人によっては思いいれのあるチームです。
そのような事情もあり、球場はかなり盛り上がっていました。
この日は気温はそれほど低くなかったのですが風が非常に強く、寒い試合展開もあって試合序盤は体が震えるほどでした。
しかし試合終盤になると、試合が盛り上がってきたこともあってそれほど寒さを感じませんでした。
中にはそんな中でも上半身裸で通している人もいたのですが、ちょっと僕には出来ないなあと思いました。
このように、余っているスポーツやコンサートの券があると「あげます」とか「適価で譲ります」というようなメールが送られてきます。
直前に送られてくることが多いのでなかなか「はい行きます」というわけには行かないのですが、それでもたまには今回のようなおいしいチャンスにありつくことが出来ます。
そのほかにも、車や家具などの引越しセール、パーティー情報、バーゲンなどのお得情報が回ってきます。
これらもなかなか生かすチャンスがないのですが、特に引越しセールなどは皆かなり活用しています。
今は引越しの時期なので、車や家具などを皆で譲り合っています。
アメリカの合理主義はこのようなところにも徹底されているようです。
2008年5月19日月曜日
Goizuetaでの生活~其の七十五
上の写真は昨日のソフトボール(「Goizuetaでの生活~其の七十四」参照)の試合のあとに、日本で言ういわゆる「飲みに行った」時の様子です。
試合が終わったのは3時過ぎだったのですが、近くのビアホールに行ってきました。
このソフトボールチームは学校のクラスメートとその友達で構成されているので、中にはもともと知り合いではない人もいます。
ソフトボールの試合中だとあまり話は出来ないので、このような機会は結構貴重です。
国によって会話の中の話題は多少なりとも異なるのですが、アメリカに来てまったくついていけない話題が「ペット」です。
僕はペットを飼ったことがあるのは金魚程度で、犬や猫は飼ったことがありません。
しかし、アメリカはペット天国であります。
ペットの話になるとものすごい勢いで話し始めます。
昨日もペットの話しになり、完全に聞いているだけ状態になりました。
何でもペット用のデイケアがあるらしく、自分たちのペットに合うデイケアを探すのは結構大変らしいのです。
アメリカでは夫婦共働きという場合も多いし、引越しも旅行も皆大好きなので、当然といえば当然かもしれません。
アメリカ人の中には犬や猫とともに育ってきたという人が結構多く、それがベジタリアンが多い理由の一つでもあります。
ちなみにベジタリアンといっても一筋縄ではいかず、乳製品にいたるまでまったく動物系のものを食べない人から、牛肉など特定の肉以外は何でも食べる人まで多岐に渡っています。
というわけで、ペットの話になった瞬間から会話にはまったく参加できなかったものの、いろいろペットのことを勉強してきました。
ビアホールにペットを連れてきている人も多く、店内にはつれて入れないのですが、店の外に紐でつないでおき、店からカップをもらって水を入れたものを「これを飲め」とばかりにおいていたりしました。
ちなみに僕は着替えを持っていなかったので、ソフトボールをした格好のままビアホールに行きました。
しかしアメリカでは誰もそんなことを気にしないらしく、行く前に「着替えを持っていないけど大丈夫かなあ」といったら、「誰もそんなことは気にしない」といわれました。
事実、ソフトボールのあと着替えた人は一人もいませんでしたし、ほかのチームもまったく着替えずにビアホールに来ていました。
僕としてはズボンについた泥が気になったのですが、そのような心配は無用のようです。
2008年5月18日日曜日
Goizuetaでの生活~其の七十四
上の写真は、本日のソフトボールの様子です。
ご覧のとおり服装などは本当にばらばらですが、いつも楽しくソフトボールを楽しんでいるチームメイトとのものです。
ここ数日は多少風が強く、気温の割に体感温度が低かったりもしたのですが、今日はそよ風程度の晴天でまさにソフトボール日和という感じでした。
そしてなんと、今日は僕は生まれて初めて完投完封(5回)をしてしまったのです!
これは自分でもびっくり、チームメイトもびっくり、相手チームも審判もびっくりでした。
念のため申し上げておきますと、これには僕の力量はほとんど関係なく、半分はチームの力、そしてもう半分は運によるものです。
なぜかというと、今僕たちがプレーしているソフトボールリーグでは、そのルール(「Goizuetaでの生活~其の七十」参照)により、一試合に人チームあたり10点程度入るのが当たり前だからです。
つまり、その中で0点に抑えるためには相当の運が必要なのです。
まず、僕はもともとピッチャーをやっていませんでした。
しかし今日はいつもピッチャーをやっている人がいなく、僕がいつも守る内野に人が多かったので、誰かが投げろという話になったのです。
でせっかくならという感じでピッチャーをしました。
この試合はダブルヘッダーの二試合目だったのですが、一試合目に打たれまくった上に、二試合目の対戦相手は皆体がとても大きかった(おそろいのTシャツを着ていて、試合前には円陣を組んだりして、いかにも強そうなチームでした)ので、「これはどうあがいてもなんともならんわ」と開き直ってとにかくストライクだけを投げ続けたのです。
すると味方がダイビングキャッチをするわダブルプレーを取るわ、相手チームはランナーがいるときに限って内野ゴロを打つわで、しかも味方打線は爆発し、15-0くらいで勝ってしまいました。
僕は高校まで野球をやっていたのですが、完封どころか完投勝利すらほとんどありません。
というわけで、ソフトボールとはいえ生まれて初めての完封、しかも無四球ということで、思いがけず人生において忘れられない日になりました。
ちなみに第一試合は15-15くらい(点差は気にしますが、得点そのものはあまり気にしないのです)で引き分けてしまいました。
プレーオフ進出に向けて痛い引き分けですが、今後取り返して生きたいと思います。
朝はNiketownのRun Club(「Goizuetaでの生活~其の六十一」参照)で7マイル走ったこともあり結構足が張っていますが、気持ちが高ぶっているせいか心地よい張りに感じます。
2008年5月17日土曜日
アメリカ文化紹介~其の三十一
上の写真は昨日の夜友人とベトナム料理を食べに行ったときのものです。
僕はベトナム料理が大好きなので、大満足でした。
そこでの話題ですが、ずばり「家族とどれくらい電話で話すか」です。
僕が知っている限りだと、日本人以外は、ほぼ毎日家族(主に両親。単身赴任の場合の家族ではない。)と電話で話をしています。
ところが日本人は、僕自身を含め、ほとんどといっていいほど電話をしていません。
これは、アメリカに来てから知ったのですが、日本特有のようです。
日本以外のアジア人も、結構家族に電話をしています。
僕が「特に用がない限り電話をしない。」というと、「用がないと家族と話す必要がないのか。それでも家族といえるのか。」と猛反発を受けます。
そして、「日本という国はとても家族を大切にすると思っていたのに、そんなに家族をないがしろにする国だとは思わなかった。」とまで言われたりします。
そういうわけじゃないんですけど。。。
それに対して、「用がないのに電話をすると逆に心配される」というと、信じられないという顔をされ、「それはお前だけだ、ほかの日本人はそんなことないだろう。」といわれます。
しかし、僕が知っている日本人と話をすると、だいたい僕と同じような感じです。
日本人の常識から考えると、大人になっても毎日のように両親と電話をしているなんて、「親離れ、子離れが出来ていない」ということになりますが、それはどうやら日本独自の感覚のようです。
人(特にアメリカ人)によっては僕が当然聞こえる範囲にいるのに、今にも泣き出しそうな雰囲気で「I love you, mom.」といったりします。
最初に聞いたときは、何か一大事が起こったに違いないと思いました。
しかしその電話が終わったあとはけろっとしています。
そのときは、アメリカ人はどういう感覚をしているのだろうと思いました。
この点に関しては、アメリカ人はやりすぎだという人も、アジア人を中心に結構多いです。
なにはともあれ、日本人以外の人にとっては家族とはほぼ毎日のように連絡を取るもの、ということだと思うのですが、それではまだ国際電話がとてつもなく高かったころはどういう風にしていたのでしょうか。
いずれにしても、文化の違いというものは大きく、国によって常識も異なるということを改めて認識した次第であります。
2008年5月16日金曜日
アメリカ文化紹介~其の三十
上の写真は昨日のOne-year ProgramのorientationでのKegの様子です。
昨日はTwo-year Programの学生たちがOne-year Programの学生たちを迎えるという会でした。
せっかくなので、One-year Programに関して少々紹介させていただきたいと思います。
One-year Programはちょうど今の時期、5月上旬からOrientationが始まります。
そして、9月のまでにSemester一つを終わらせます。
そのSemesterでほとんどの必修科目を履修し、9月からはTwo-year Programに合流します。
そこからはほとんどTwo-year Programと変わらない活動をします。
多少異なる点といえば、Two-year Programが一年目にやるprospective studentのrecruitingをすることくらいでしょうか。
One-year Programのメリットとしては、なんといっても学費を抑えられることがあげられます。
一方デメリットとしては、インターンが出来ないこと、履修できる科目の選択肢がTwo-year Programに比べて多少狭まることくらいでしょうか。
しかし、とってしまえば同じMBAなので、日本ではあまり知られていませんが、One-year Programという選択肢は現実的なものといえるかもしれません。
実際に卒業するころにはみんな仲良くなっており、誰がTwo-yearで誰がOne-yearかわからないくらいです。
アメリカでは日本に比べてMBA取得が盛んなので、One-year Programの存在感もこれから増してくるのかもしれません。
ちなみに、僕はあまり詳しくないのですが、ヨーロッパではOne-year Programが主流と聞きます。
何はともあれ、そんなこんなでOne-year Programの同級生たちを迎えてきました。
ご覧のとおり芝も青く、晴天に恵まれました。
アトランタは今が本当にいい季節で、昨日は多少涼しかったものの、それでも20度強くらいでした。
昨日はHistorian(「Goizuetaでの生活~其の七十二」参照)の引継ぎもしてきたのですが、そのあたりに関してはまた日を改めて紹介させていただきたいと思います。
2008年5月15日木曜日
Goizuetaでの生活~其の七十三
上の写真は昨日の引越しの手伝いのあとに食事に行った際にとったものです。
当然のことながら原油価格の高騰はアメリカでも大きな話題ですが、それでも日本に比べればガソリンは安いようですね。
ちなみに単位はガロンです。
さて、昨夜は引越しを手伝った友人たちと6人で食事に行きました。
その友人たちが台湾出身だったこともあり、最初は台湾料理を食べに行こうという話だったのですが、台湾料理のおいしいお店が閉まっていたので、(中国の)中華料理になりました。
台湾料理から見ると、中華料理は塩味がきついそうです。
確かにそういわれるとちょっとしょっぱかったかなあという気もします。
Emory大学から北のほうに少し行くとBuford Highwayという場所(道)がありまして、その周辺には中国系、韓国系の店が並んでいます。
具体的には、飲食店、スーパーマーケット、本屋などなど、一通りなんでもあるという感じです。
日本系の店もないことはないのですが、やはり中国人や韓国人に比べると日本人は少ないこともあり、あまり日本系の店は多くありません。
ただ、中国や韓国の文化は、アメリカの文化から比べると日本に近いですし、中国系や韓国系の店に日本のものがおいてあることもあります。
値段が高い場合もありますが、日本のものは結構手に入ります。
昨日の店もBuford Highwayの近くの店でした。
飲食店の値段は日本に比べると多少高く、外食すると日本で1000円ちょっとで食べられるようなものが円換算で1500円から2000円くらいします。
一皿あたりの量は日本より多いのですが、それでもちょっと高いかなあという感じです。
こちらではチップを10-15%払うので、その分価格差につながっているのかもしれません。
僕は普段は外食はほとんどしないのですが、今のように学校も終わって特にやることがないときは、機会があれば出来るだけ友達と一緒に外食をしたりしたいなあと考えています。
夕食の後は韓国系のカフェに行きました。
パンがおいしいということで有名なカフェだそうで、確かにおいしそうなパンが並んでいました。
韓国系のカフェといっても雰囲気は普通のアメリカのカフェと同じで、韓国系である分清潔で室内が整然としているという印象でした。
学校では秋から同級生となるOne-year programのorientationが始まっているので、今からそれに少しだけ参加してこようと思います。
2008年5月14日水曜日
アメリカ文化紹介~其の二十九
上の写真は最近のキャンパスの様子で、手前に見えているのがトラックです。
しかしトラックの真ん中には見事な芝と、その向こうにはきれいな森が広がっています。
こんな環境で過ごせるなんて本当に幸せだなあと毎日のように思います。
さて、本日はGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のmeetingがありました。
何でもう終わったはずなのに、という感じですが、final paperをclient用に手直ししようという話になり、集まったわけです。
ただ、もうプロジェクト自体は終わっていますし、集まったのは6人中3人だけでした。
しかも役割分担を決めてすぐに解散という30分程度の非常に軽いものでした。
改めて平和な毎日が戻ってきたんだなあと実感しました。
そのあと、友人の引越しの手伝いをしました。
この時期は引越しの時期です。
まず、夏のインターンに行くために家を空ける場合は、とりあえず荷物をどこかにおいてインターンから帰ってきたらまた新しく家に入る、ということがあります。
また留学生の場合は、Clairmont Campusに一年目は住んでいたけど、一年目に知り合った友人とルームシェアをしてoff campusに住みなおす、という場合もあります。
いずれにしても近所なので友達と一緒にわいわいやりながら、トラックを借りてきて荷物を一気に移す、という形態をとります。
大学周辺は非常に住環境のよい地域で、その地域にあるアパートのほとんどにはEmory大学の学生が多く住んでいます。
家具や車も上級生や、卒業して引っ越す学生、そしてたまには卒業生から安価で融通してもらったりしています。
本日は「男手が足りないから」という非常に単純な理由で呼び出されました。
周辺のアパートに引っ越すとやはり大学への利便性は落ちますが、その分広々としたアメリカらしい家に住めるので、ちょっとうらやましい気もします。
値段もニューヨークなどの大都会と比べると格安のようです。
そんなことをしているうちに、みんなインターンに散ってしまうんだなあとしみじみ考えたりもします。
アメリカ文化紹介~其の二十八
上の写真は本日の卒業式の様子です。
3日間続いた卒業式の行事も今日が最後で、今日がいわゆる卒業証書の授与式でした。
各学生の父兄も多く参加していました。
日本と比べると、やはり厳かな雰囲気にはかなりかけます。
僕はこのようなリラックスした雰囲気のほうが好きなのですが、日本式に慣れてしまうとちょっと物足りないかもしれません。
学生はネクタイをしていないですし、人によっては普段着と変わりなかったりもします。
さて、いよいよ本日をもっていよいよClass of 2008の学校行事はすべて修了しました。
このあとは各学生が仕事を始めるまでのバケーションを楽しみます。
人によるのですが、仕事を始めるのは早くて6月、遅くて8月というのが一般的のようです。
それまでは仕事を始めてからでは体験できない長さの旅行に行ったりするのです。
アメリカの会社の休暇の長さですが、日本よりは長いものの、やはりそんなに長くは取れないようです。
ヨーロッパは1ヶ月くらい取ったりするそうですが、アメリカでは一般的には最長でも2週間くらいでしょうか。
ただ、日本のように明示的に暗示的にも休暇の取得が制限されるということはなく、むしろ奨励されるそうです。
同級生に聞いても、「休暇をとらないと、何でとらないんだとボスに言われた。」といわれた、という学生が多いです。
そんなアメリカ人であっても、仕事を始めるまでの、「将来的な収入源が確保されていてかつ何も当面やることがない」という状況下での1ヶ月から2ヶ月のバケーションは貴重なものであり、ビジネススクール生活の最後を締めくくるにふさわしいバケーションにしようと意気込んでいます。
本日の夜はClass of 2008の家でGraduation partyが開かれたので、それに行って来ました。
皆本当に開放感に満ちています。
今まで毎日のように顔を合わせていた面々と会えなくなるというのがいまだに信じられません。
最後の最後ではありますが、つかの間のひと時を楽しんで来ました。
さて、今週ですが、これからは今までにやろうと思っていながら出来なかったことを一つずつ片付けていこうと思います。
2008年5月12日月曜日
Goizuetaでの生活~其の七十二
上の写真は先日のGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のfinal presentation(「授業紹介~其の七十五」参照)直後のものです。
後列右に移っているのがclientであるKimberly-ClarkのPaul Hodgeさんです。
Paulさんには本当にお世話になりました。
本当にありがとうございました!
さて、僕の周りもやっと平穏を取り戻したという感じです。
とはいっても何のかんの言ってやることは見つければいくらでもあるのがビジネススクールでありまして、まずGMSCの写真とビデオをまとめてCDに焼いてteammateに配りました。
僕は今までCDを焼いたことすらなかったので、この作業をすべて終わらせるのに10時間近くかかりました。
また、僕はClass of 2009のHistorianになったので、その仕事もあります。
まだ引継ぎが完了していないので実際にどれくらいの仕事があるのかよくわからないのですが、これはビデオや写真を集めて編集し、Class of 2009の記憶をGoizuetaのHistoryとして残す、というものです。
デジカメは持っていますがCDの焼き方も知らなかったうえにビデオなんてまわしたこともないので、果たして編集なんて出来るのか本当に不安です。
しかしこれを機会にビデオのとり方のコツや編集の仕方を覚えられるという考え方も出来るので、せっかくの機会ですしいろいろ勉強させてもらおうと思います。
その関係で卒業関連の行事に参加し、来週には引継ぎをすることになりました。
そんなこんなでいまだに朝から晩までやることは結構あったりするのです。
下手に暇になるとさびしくてたまらなくなるので、ちょうどいいかなあと思っています。
今日もこれから学校のバーベキュー、そして日本人のClass of 2008の卒業記念バーベキューに行ってきます。
飲み屋のはしごならまだしも、バーベキューのはしごなんて聞いたことありません。
Class of 2008との残り少ない時間を存分に楽しんでこようと思います。
2008年5月11日日曜日
Goizuetaでの生活~其の七十一
上の写真は一昨日のGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のPresentation Day Banquet(「授業紹介~其の七十五」参照)のあとのインド人の友人宅での様子です。
パーティーというほどではありませんが、Clairmont Campusに住んでいるインド人の家に呼んでもらいました。
その場にいたのは僕を除いて全員インド人です。
以前も紹介させていただいたかもしれませんが、インドでは英語が普通に話されています。
インド人によると、地域によってかなりばらつきがあるそうですが、ヒンディー語と英語が混ざった言葉だ話されているそうで、しかもヒンディー語にはかなりの方言があるとのこと。
というわけで細かく分けるときりがないそうで、英語との混ざり方もばらばらだそうです。
まさに混沌という感じです。
何はともあれ、そんなインド人が集まると自然と彼ら自身の言葉を話し始めます。
つまり、英語を話していたかと思うと突然ヒンディー語になり、ヒンディー語を話していると思うとそれはインド英語だったりするのです。
僕がいるときは極力英語を話してくれているようですが、それでも時々ヒンディー語が入ります。
インド英語は非常にアクセントが強く、スピードが非常に速いです。
しかも文法がかなりしっかりしているので、逆に文章が長くなり、その分聞き取りにくかったりします。
というわけでインド英語にはかなり苦戦しているのですが、それでもここまで毎日のようにインド英語を聞いているので何とか聞けるようになって来ました。
インド人は一般的に非常に陽気です。
冗談が大好きで、しかも冗談を含めて話す内容が非常に論理的です。
また、優先順位をつけるのが非常にうまく、大事でないことはあまり気にしません。
最初はインド英語をはじめとしてとっつきにくかったインド人も、今となっては非常に親しい間柄となりました。
彼らの大部分とは夏の間離れ離れになってしまうのかと思うとさびしくなってしまいますが、また来学期になればこの陽気なインド人たちと毎日楽しく過ごせるわけです。
昨日はGMSCから開放されたとあって、バスケットボール、バドミントン、水泳をしました。
今年初泳ぎです。
アトランタは最高気温が20度台中盤から後半の日々が続いており、屋外であってもプールに入るのにまったく問題はありません。
今週末は上級生の卒業イベントに参加する予定です。
授業紹介~其の七十五
上の写真は昨日のGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のPresentation Day Banquetの様子です。
暗くて遠かったので小さくてよく見えないと思いますが、真ん中に顔が見えるのがclientであるKimberly-ClarkのPaul Hodgeさんです。
朝のfinal presentation、そのあとのランチ、そして夕食会であるBanquetすべてに来てもらうことが出来ました。
コンサルティングプロジェクトにおいてclientが大事であることは言うまでもありませんが、Paulさんにはこのプロジェクトを通して大変お世話になりました。
最初に会ったのは11月のclient dinnerのときでしたが、最初はアメリカのビジネスマンとプロフェッショナルとしてどのように接すればいいのだろうかとずいぶん迷ったものです。
しかもPaulさんは当校の卒業生でもなければ、当校にこれまでかかわったことがあるわけでもないので、お互いに本当に初顔合わせだったわけです。
しかし、当然といえば当然なのですが、我々をプロフェッショナルとして扱い、尊重してくれ、必要なデータなどをお願いしたり、突然電話をして質問をしたりしてもすぐに対応してくれました。
これまでの半年間の間で信頼関係を築くことが出来ましたし、昨日のBanquetのときなどは隣に座って普通にプロジェクト以外のいろいろな話をすることが出来ました。
GMSCを始めたころから考えると、夢のようなことであります。
BanquetはBuckheadという高級住宅街にあるイタリア料理店で行われ、clientをはじめ、教授や上級生などの挨拶のあと、final paperとfinalpresentationの優勝者の表彰式が行われました。
皆GMSCとともに今年度が終わったとあって開放感に満ちていました。
teammateにはGMSCが始まるまで話したこともなかった人がいたのですが、今となっては何でも理解しあえる友達になりました。
これですべてが終わってしまうのかと思うとさびしい気もしますが、このGMSCでの思い出は一生忘れることがないでしょう。
2008年5月9日金曜日
授業紹介~其の七十五
上の写真は本日のGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のfinal presentation直後のものです。
さすがにみんな晴れやかな顔をしています。
というわけで、本日は今年度一年を締めくくるにふさわしい、GMSCのfinal presentationの日でした。
5時半に起きて6時に学校に行き、実際にpresentationをする教室で一人で練習をしました。
7時からはteamで練習をし、9時からはいよいよ本番のpresentationです。
presentationには、学校の卒業生を中心に「judge」が参加し、実際にpresentationをジャッジします。
僕はこのjudgeは若手の卒業生多くても10人くらいだろうと思っていたのですが、30人くらいのjudgeが参加し、年齢や立場もばらばらでした。
presentation直前には、想定外の30人のjudgeが集まる様子を見てすっかり緊張してしまい、みるみるうちに頭の中が真っ白になってしまいました。
先日のG+のspeech(「授業紹介~其の六十七」参照)のときに200人を前にしたのですが、そのときは常に顔をあわせている同級生を中心とした200人でした。
今回は、まったく面識のない、アメリカのビジネスの第一線で活躍している30人です。
その人たちが集まるのを見ているだけで、すっかり怖くなってしまったのです。
しかし、この期に及んで怖くなっている暇はないので、何とか自分を落ち着かせてpresentationに臨みました。
本番は何とかうまくpresentationをすることが出来、teamとしても上々の出来でした。
見に来てくれたClient、各judgeからも上々の評価をもらい、やっとGMSCが終わりました。
終わってみれば早かったような気もしますが、ここまでは長い長い道のりでした。
最初にプロジェクトの内容をteam内の誰もまったく理解できなかったところから始まり、特に学期の後半は毎日のようにmeetingをしました。
client、学校、教授、上級生をはじめいろいろな方に助けてもらいながら、何とか形になってきました。
最初はまったく興味のわかなかったプロジェクトだったのですが、今となっては愛着すら覚えてしまうのですから不思議です。
しかも、clientが評価し、満足しているのがコンサルティングプロジェクトとしては一番うれしいところです。
これで名実ともに今学期の授業がすべて終わりました。
授業紹介~其の七十四
上の写真は先日のGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のmeetingの様子です。
教授に来てもらってpresentationを見てもらい、アドバイスをしてもらいます。
こういうときに声をかけると可能な限りすぐに来てくれるという教授と学生の距離の近さも、当校の特長の一つかもしれません。
さて、本日も明日のfinal presentationに向けてのmeetingです。
ひたすら練習し、それをビデオにとり改善点を見つけ、質疑応答のための質問例を考えました。
team guideである上級生がpresentationを見に来てくれて、アドバイスをしてくれ、質疑応答の練習のための質問をいくつかしてくれました。
去年のこの時期どんな感じだったかと聞いたところわれわれの現状と同じような感じだったようです。
やはりどうしても最後まで大混乱状態が続いてしまうのかもしれません。
そんな状態にありながらも明日ですべてが終わってしまうのかと思うと少しさびしい気もしますが、今はそんなことは言っていられません。
meeting自体は午後6時過ぎに終わったのですが、それからまた一人で学校で練習をし、結局学校を出たのは9時過ぎでした。
この時期になると、みんなぐったり疲れています。
その疲れを緊張感でカバーしているという状態なので、明日のfinal presentationが終わればその疲れが一気に出てくるのでしょう。
アメリカ人も働くときは働くのだなあと思ってしまいます。
明日も朝7時に集合してリハーサルをすることになりました。
presentationというのは非常に難しいことは確かなのですが、練習すれば練習しただけうまくなることもまた確かです。
確かに、自分を含めてteam内の全員が一回ごとにうまくなっているのは感じます。
ただ、本番になると練習で一回も間違えたことがない箇所に限って間違えたりするので、油断は禁物です。
明日は午前中にpresentationがあり、夜は祝賀会があります。
2008年5月8日木曜日
授業紹介~其の七十三
上の写真はGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のmeetingの様子です。
木曜日にfinal presentationが迫っていることもあり、日付が変わるまでmeetingは続きました。
本日もpresentationの練習とスライドの修正だったのですが、そのスライドの修正がなかなか進まないのです。
これで聞き手に伝わるか、ということを確認するのが一番大事なのですが、当然team内の人間はプロジェクトに関してよく知っているので、客観的な視点でpresentationを聞けないのです。
つまり、初めて聞く人の立場になりきれないので、初めて聞く人がわかるかどうかの判断がどうしてもできないのです。
そんなことをしているうちに時間はどんどん過ぎていき、meetingは長くなるのです。
しかも、presentationの練習はもっと大変です。
ビデオで練習の様子を撮影してそれを見ながらどこをどう直したらいいかを考えるのですが、はっきり言って自分のpresentationを見ることほど苦痛なことはありません。
自分のpresentationがいかに下手か、どれくらい英語が出来ないかが一瞬にしてわかります。
自分では結構うまくいった、英語もきちんと話せた、と思っても、ビデオを見ると世の中そんなに甘くないことがわかってしまい、現実を思い知らされるのです。
だからこそ練習になるのですが、本当に泣きたくなります。
しかしそうも言っていられないので、一生懸命発音を直し、ボディーラングィッジに気をつけ、いかに簡潔かつインパクトのあるpresentationにするかというテーマに取り組むのです。
そうこうしているうちに、確かにだいぶましにはなります。
というわけで、明日も朝から晩までmeetingです。
teamでは明日はpresentation前日なので夕方にはmeetingを終えようという話をしているのですが、そううまくいくかどうかはわかりません。
今夜もこれからひたすら練習です。
2008年5月7日水曜日
授業紹介~其の七十二
上の写真も一昨日のHBAのバーベキューの様子です。
手前に見える黄色い粉は芋をほぐしてあげたものだそうです。
牛肉を中心に肉を焼き、それを切ってこの粉につけて食べます。
これはブラジル風のバーベキューだそうですが、なかなかいけます。
さて、昨日のGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のClient Presentationで日本の話が出てきたので、紹介させていただきたいと思います。
presentationのあと、Kimberly-Clarkの人と医療機器の海外進出一般の話をしていたのですが、そこで日本の話が出てきました。
彼らは「ニンショウ」という言葉を知っていて、彼らによると「日本のニンショウをとるのは非常に難しく、ほぼ不可能といえるほどだ。しかし、日本でニンショウをとることが出来れば日本というマーケットに進出できるし、そのほかの世界中のどのマーケットにも進出できるので、日本のニンショウは海外進出の際の大きなテーマの一つである。」とのことです。
日本人である僕がいるので好意的な表現をしてくれた可能性がありますが、日本国内では閉鎖的としか表現されない日本市場も、海外のプレーヤーからはそのすべてが否定的に捕らえられているわけではないのかもしれません。
日本の「ニンショウ」は世界に通じる「お墨付き」のような役割を果たしているともいえるのではないでしょうか。
さて、GMSCのfinal presentationがいよいよ近づいてきました。
今年度の授業で残っているのはそれだけです。
これからはいよいよfinal presentationに集中できます。
これまでの苦労の一つに、client presentationとfinal presentationの両方を意識しなければいけなかったことが挙げられます。
聞き手の質が違うので、presentationの中身も変えなければいけないからです。
具体的には、clientはこのプロジェクトの意義、難しさ、製品やマーケットの情報などを当然知っていますが、final presentationではそれらを説明しなければなりません。
泣いても笑ってもあと数日なので、final presentationに集中して準備を進めたいと思います。
2008年5月6日火曜日
授業紹介~其の七十一
上の写真は昨日行ったHBA(Hispanic Business Association)という学校のクラブのバーベキューです。
当然ながら僕はヒスパニックではないのですが、HBAに入っているのです。
理由は単純でヒスパニックのクラスメートと仲良くなり、ヒスパニックを文化を知るためです。
このあたりに関してはまた後日詳しく紹介させていただきたいと思います。
さて、本日はGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のClient Presentationがありました。
これは実際にクライアントのところまで行ってpresentationをするというものです。
朝8時からのpresentationだったので、4時に起床し、6時に待ち合わせをしてクライアントであるKimberly-Clarkに向かいました。
presentation自体は大きなミスもなく終わり、Kimberly-Clark側もプロジェクト自体の出来については満足そうでした。
守秘義務があるのでこのブログで紹介できる内容は限られていますが、当然今回のプロジェクトで扱った内容はKimberly-Clarkにとっても大きな課題であるので、かなり興味を持ってくれました。
presentationをしているころまではやはりどうしても学生の発表という感じから抜けきらなかったのですが、質疑応答になるとかなり鋭い突込みをされ、それに対してこちらは必死に答え、逆に質問をぶつけるという感じになり、本格的にプロジェクトらしくなってきました。
Kimberly-Clark側は製品に関しては当然よく知っていますし、市場の動向などもかなり詳しく把握しています。
しかしこちらもそれなりのものを持ってきているので、クライアントに言われたことに対して「ああ、そうなんですか、勉強させていただきました。」というわけには行きません。
かなり緊張感のあふれるやり取りでしたが、そのあとはKimberly-Clark側もかなり満足そうでした。
昨日は今日の準備のために2時近くまで起きていたこともあり、presentationが終わったあとはかなり疲れが出ました。
やはりどうしてもpresentationの前は準備に時間がかかって寝るのが遅くなってしまいます。
学校内部のFinal Presentationは今週木曜日なのですが、プロジェクト自体の趣旨は当然クライアントの期待にこたえることにあるわけで、その意味では今日は特別な日であり、緊張感も高まっていたのです。
残された日にちはあと3日ですが、Final Presentationに向けて息の抜けない毎日が続きそうです。
2008年5月5日月曜日
アメリカ文化紹介~其の二十七
上の写真は先日NBAを見に行ったときの試合前のアメリカ国歌斉唱の様子です。
地元の合唱団が歌っています。
さて、本日プレーオフ第1ラウンドAtlanta Hawks対Boston Celtics最終戦が行われました。
結果、99対65で我らがHawksが負けてしまいました。
一言で言うとぼろ負けです。
昨日紹介させていただいたように、Hawksの地元ファンとしては圧倒的に格上のCelticsに余計なプレッシャーがかかることを期待していたのですが、現実はそう甘く甘くありませんでした。
第3クォーターの途中にはほぼ試合が決まり、両チームとも主力をほとんど使わずに控え選手を試合に出すというなんとも残念な試合になってしまいました。
この一戦に勝てば本当にアメリカ中がひっくり返るくらいの大騒ぎになっていたはずなのですが、そのときはBostonで暴動がおきかねないので、アメリカの治安保持のためにはよかったのかもしれません。
ここでなぜCelticsがそれほど注目されているかを、あくまで私見ではありますが紹介させていただきます。
Celticsは今シーズン前に非常に大掛かりな補強をしました。
しかしバスケットボールはチームワークが重視されるスポーツで、有力選手を補強したからといってすぐに勝利に結びつくわけではない、というのが定説なのです。
ただ、Celticsが補強した選手はいわゆるバスケットボール的に「賢く」そして「成熟した」オールラウンドな選手が多く、もしかしたら一年目から結果が出せるのではないか、と期待されていたのです。
そして実際にレギュラーシーズンを最高勝率で突破し、うまく選手を組み合わせることが出来れば一年目から結果を出せる、というお手本のようなケースになったか、と思われたのです。
ところがいくらレギュラーシーズンで勝っても、プレーオフのしかも第一ラウンドで負けては何の意味もないわけで、ここで負けると「やっぱりだめじゃないか」といわれかねないところだったのです。
しかも相手はプレーオフ進出は「まぐれ」以外の何者でもないと思われていたHawksで、そんな相手に負けようものならファンは黙っているはずがないのです。
というわけで最初は誰も注目していなかったこのカードもHawksが勝つたびにホップステップジャンプ状態で注目度を増していき、今日の試合にCelticsが負けようものなら各メディアがCelticsの敗因分析を書き立てることに疑いの余地はない状態だったのです。
というわけで、何はともあれHawksの今シーズンは終わってしまいました。
HawksはCelticsとは対照的に非常に若いチームで、未熟ながらも将来有望な選手がたくさんいます。
そのような選手がそううまく伸びるほど甘い世界ではないのですが、それでもこのプレーオフを見ていると来年に大きく期待してしまいます。
毎年のように期待を大きく裏切っているHawksですが、来年こそはプレーオフの第一ラウンドを突破して、その上さらに、、、といっていただきたいものであります。
アメリカ文化紹介~其の二十六
上の写真は先日見に行ったNBAのBulls対Hawks戦(「Goizuetaでの生活~其の五十一」参照)のときのものです。
なぜこの写真を掲載させていただいたかというと、そうです、HawksがまたしてもCelticsに勝ってしまったからです。
ちなみに僕は今回のプレーオフは見にいけていません。
昨日の試合前までは3勝2敗でCelticsがシリーズをリードしていましたが、なんと昨日の試合はHawksがCelticsを下して3勝3敗のタイに持ち込んでしまったのです。
先日も紹介させていただきました(「アメリカ文化紹介~其の二十五」参照)が、これは本当にすごいことです。
6戦ともすべてホームチームが勝っているのですが、常識的にはCelticsとHawksの実力差はホームコートアドバンテージで埋められるようなものではありません。
戦前の予想では「Hawksは一回勝てるか?」が焦点であったわけで、まさか誰も三回も勝てるとは思っていませんでした。
しかもこのシリーズではCelticsの主力にけが人が出たわけでも絶不調の人がいるわけでもなく、かといってHawksに突然ラッキーボーイ的な選手が現れたわけでもありません。
Hawksはシーズン途中にMike Bibbyというポイントガードを補強したことによってチームのバランスはよくなったのですが、だからといってその補強後に連勝街道まっしぐらだったなんてことはなかったのです。
つまり真正面からぶつかって三回勝ったわけで、これはもう奇跡としか言いようがないわけです。
波に乗って第7戦をとりシリーズ突破を、、、と行きたいところですが、さすがにアトランタの人々も冷静で「まあそううまくはいかないわな」と考えています。
敵地での試合ですし、このシリーズCelticsはホームでは3試合とも20点前後の点差をつけて勝っています。
ただ、Hawksファンとしては、「第7戦はこれまでとは違う。」と反論したいのです。
何しろ、プレッシャーのかかり方が違います。
Celticsが負けたらCelticsファンは黙っていないでしょうし、Celticsは負けて失うものが山ほどあります。
その一方でHawksに失うものはなく、負けて帰ってきても賞賛されることしかありません。
つまり思いっきり暴れまわることができるのです。
というわけで、明日の第7戦に向けて、しないほうがいいとわかっていても期待してしまう今日この頃であります。
2008年5月3日土曜日
授業紹介~其の七十
上の写真も昨日に引き続きSlope Day(「Goizuetaでの生活~其の六十九」参照)殻のものです。
このような感じで美声を披露したり、ダンスをしたりします。
いかにもアメリカという感じで、たまにふと「ああ、本当にアメリカにいるんだなあ」と思ったりもします。
そんな淡い記憶もある一方で、現実も目の前にちゃんとあるのがこの世の中です。
今日もGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)一色の一日でした。
朝8時からmeetingがあったので、そのために6時半におきました。
僕は毎日食事は自分で作るので、6時半におきないと8時は学校につけません。
それでも外で買うよりは当然安いし美味しいし栄養バランスもいいので、そう考えると6時半におきるのも苦になりません。
11時のleadership teamへのpresentationへ向けてスライドの修正とリハーサルをしました。
ここで先日から何回か紹介させていただいているleadership teamが何かということを簡単に紹介させていただきます。
leadership teamとは一言で言えば上級生です。
去年GMSCを実際にやった上級生によって構成されており、去年のGMSCの経験と、入学前のバックグラウンドやサマーインターンシップの経験をもとにGMSCをコーディネイトしています。
各セッションの司会進行から、実際のプロジェクトの進め方への助言まで幅広くサポートしてくれます。
今日はleadership teamとGMSCの担当教授、そして僕たちのチームが自分たちで読んだ教授一人を前にpresentationをしました。
かなり厳しい意見を含めて、あらゆる観点からアドバイスをしてくれました。
どれも納得できるものばかりで、やはり自分たちだけでやっていると視野が狭くなってしまうということを痛感しました。
presentationのあとは、またスライドの修正です。
昨日までと同じことなのですが、何しろ意見がまとまりません。
良くも悪くもみな意見をしっかり主張するので、まとまるはずがないといえばそれまでです。
しかしそれではいつまでたってもどうしようもないこともみなわかっているので、どこかで誰かが妥協するしかありません。
今日も結局7時近くまでかかりましたが、逆に7時近くには終わることが出来たのでよしとしましょう。
今夜と明日もGMSC一色になりそうです。
授業紹介~其の六十九
上の写真はSlope Day(「Goizuetaでの生活~其の六十九」参照)の様子です。
アメリカでバーベキューというとやはりハンバーガーとホットドッグになります。
食べるときはいつも焼き立てですし、普段滅多に食べないのでおいしく感じますが、これが毎日続くと厳しいでしょう。
ただ、これが毎日続くと厳しいというのはアメリカ人も同感の様です。
アメリカ人の場合はオートミールやシリアル、スナック、クラッカーなどで食事を済ませてしまったりするので、それでバランスをとっているようです。
それらとハンバーガー、ホットドッグ、サンドイッチ、ベーグルなどが普段の主な食事のようです。
さて、本日もGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)一色の一日でした。
明日のLeadership Teamへのpresentationに向けてまっしぐらです。
今日は午後四時から教授を呼んでpresentation用のスライドを見てもらったのですが、当然その前はそのための準備、そのあとは教授からのアドバイスに基づいてのスライドの修正です。
結局夜12時までmeetingは続きました。
あと一週間はこのような日々が続くのでしょう。
presentation用のスライドというのはいくら直しても直しきれないもので、直したり実際のpresentationの練習をしているうちにどんどん変わってきます。
しかも変わったからといってよくなっている保障はなく、自分だけにはわかりやすくなっても一般の聞き手にとってはどんどんわかりにくくなって行ったりします。
teamは6人いるのですが、それぞれの意見がすぐにまとまることはまずなく、一つのスライドを修正するのに1時間以上かかったりします。
致し方ないのですが、これではいくらやっても終わるはずがありません。
明日は11時からpresentationなのですが、8時に集合して事前準備、presentationのあとはまた修正のためのmeetingです。
おそらくまた深夜近くになるでしょう。
大変ではありますが、これこそまさにビジネススクールという感じもします。
貴重な経験ですし、泣いても笑ってもあと一週間なので、最後まで悔いの残らないよう頑張りたいと思います。
2008年5月2日金曜日
授業紹介~其の六十八
上の写真はGMSC(「アメリカ文化紹介~其の六」参照)のmeetingの様子です。
本日Marketing Managementのtake home finalの提出が終わったのですが、まだ今学期が終わったわけではなく、GMSCのfinal presentationに向けてmeetingの毎日です。
まずMarketing Managementのfinalですが、今回もmidterm同様にcaseを読んでそれに対する解決法を提起するというものでした。
midtermの場合は問題点が明確だったのですが、finalでは問題点がそれほど明らかではなく、自分で問題点を定義しなくてはなりませんでした。
このcase analysisというやつはやり始めは大変なのですが、やっているうちにだんだん面白くなります。
選択肢の多いパズルのようなもので、いくらでも解決方法が思いつき、考えているうちにそのうちの大部分が無理だということがわかってきます。
その中の数少ない実現可能性が高い解決法から、自分で提起した問題点を一番効率的に解決できるものを選んでそれについて論じるのです。
最後にそれらをまとめてanalysisにしなければいけないのですが、それがまた大変です。
論理に穴が開かないようにまとめるのはかなり大変な作業で、今回も含めて毎回思い通りにまとまる前に時間切れになってしまいます。
何はともあれ、終わってほっとしました。
さて肝心のGMSCですが、5月8日のfinal presentationまでは毎日のようにmeetingが続くことが予想されます。
5月2日にはGMSC内でのpresentation、5月5日にはクライアントへのpresentationがありますので、そのたびに準備をし、終わったあとは修正を加えるという作業が続くと予想されます。
そうこうしているうちに5月8日を迎えてしまうのでしょう。
ただ、ここまで来たらやるしかないですし、ゴールはもう見えているので気は楽です。
最後まで悔いが残らないようにやり遂げたいと思います。
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