米国アトランタにあるエモリー大学ゴイズエタビジネススクール(Emory University Goizueta Business School)の日本人在校生によるブログです。

当校のプログラムやアトランタでの生活について書いています。

2012年2月26日日曜日

家族の生活(子供編)

Class of 2012のMasaです。予告どおり今日は家族の生活(子供編)について書きます。



まずは我が家の家族構成をもう一度。

(渡米時33歳) 

理系院卒。金融機関に勤めること8年。社費留学。日本生まれ日本育ち。

(渡米時3○歳) 

英米文学科卒。でも英語は苦手。職場結婚後、専業主婦暦6年。人付き合いは上手な方だと思う。

長女(渡米時5歳) 

幼稚園に年少から通い、年中の一学期が終わったところで渡米。超人見知り。

次女(渡米時3歳弱) 

日本では未就学。天真爛漫。人見知りの兆候アリ。





娘たちは二人揃って人見知り。日本にいた頃から人前ではモジモジして親の後ろに隠れる系。

公園に連れて行っても他の子がいるとモジモジ、でも誰もいないと我が物顔で遊び倒す…。

子供たちがアメリカ生活に馴染むのに苦労するであろうことは、ある程度予測していまいした。





幼稚園選び

幼稚園は意外とすんなり決まりました。

アトランタにも日本語幼稚園はあるのですが、現地校に行かせることにしました。

大学への通学路の途中にあるClifton Schoolというところです。

 ・アパートから10分ほどのところにあり、しかも通学路の途中にあるため、送り迎えが楽

 ・一日10時間という長時間保育(妻の自由時間がたくさん!)

 ・子供だからすぐに英語覚えて言葉の壁もなくなるだろうという軽い考え(…大間違いでした)

という、完全に親の都合で決めました。



学費は週$200とかなり高額だったのですが、会社から補助が出るので何とかなりました。

最初はこの学費に本当に驚きました。月額の間違いではないのかと(月額にしては安すぎますが)。

しかし、朝食・昼食・おやつ付、10時間保育、そして20名弱のクラスに先生が3、4人も!…ということを考えると妥当な金額かもしれません。

当初は会社の補助があることを私が知らなかったため、日本の幼稚園くらいの学費(月3~4万円)を基準に探してみたのですが、

午前保育のところしか見つけられませんでした。(9時-12時で、しかも週3回とか)

アメリカでは日本の幼稚園よりも先生の人数が贅沢すぎるほど多いです。先生方の人件費を考えると高くても仕方ないのかもしれません。



Clifton Schoolでは新年度は6月に始まります。

人気の高い学校と聞いていたため、まだ日本にいるとき(4月か5月頃)に連絡して予約を入れました。

長女と次女のどちらかは忘れましたが、最初はウェイトリストでしたが、運良くすぐに入園の許可を貰えました。

そして、6月中旬に私が家族より一足早く渡米して生活のセットアップをしていた際に

実際に幼稚園を見学し、非常に良い雰囲気だったため、即決しました。





幼稚園に通い始めたが…

妻と娘たちは8月中旬に渡米。そして、少し落ち着いた9月から子供たちを幼稚園に通わせ始めました。

ま~毎朝泣きます。大泣きします。送っていくと泣き喚いて私の服をつかんで離しません。

最終的に先生が子供を無理矢理私から引き剥がしてくれるまで身動き取れません。

たびたび朝イチの授業に遅刻しそうになるので、妻に送ってもらうようになりました。

そのうち朝の着替えの段階から泣いて「日本に帰りたい」と言うようになり、妻も私も心を痛めていました





好転、そして誤算

泣き喚いていた長女が、一週間ほどしたら突然すんなり幼稚園に行くようになりました

そうです、お友達ができたようです。

朝、長女を教室に連れて行くと、お友達が娘の名前を叫びながらハグしてきます。

うちの娘を気にかけて面倒を見てくれる子がいて、その子を中心として友達付き合いが広がり、

幼稚園に行くのが徐々に楽しくなってきたようです。ホッとしました



しかし一方で、次女の方は全く泣き止まず、毎朝泣いて妻と私を困らせました。

渡米前は、どちらかというと長女の方を心配していました。超人見知りの上に言葉も通じなかったら苦労するだろうと。

次女はまだ3歳ということもあり、まだ日本語も怪しいくらいなので、英語環境にすぐに慣れるだろうと思っていました。

これが誤算でした。まだ日本でも幼稚園に通わせていなかったので、そもそも母親と離れることに慣れていなかったのです。

年が明けるまで次女は毎朝別れ際に泣き続けていました。

しかも泣き喚くのではなく、堪えて堪えて、じわっと涙が溢れて、小さな手で目頭を押さえる…という形の泣き方です。

涙を堪えて手を振る健気な姿に、妻も私も毎朝ダメージを受けました

でもあるとき先生に言われました。「泣いてるのは最初の3分だけよ」と。

どうやら“別れ際に泣く”というのが恒例行事っぽくなっていたようです。

冬休み明けには、笑顔で手を振って別れるようになりました。休み中に“恒例行事”の存在を忘れてしまったようです



結局、二人そろって笑顔で通園できるようになるまで4ヶ月もかかりました。





子供の語学力

子供だからすぐに英語ペラペラになる…と思っていたのですが、そうでもありませんでした。

娘たちを観察していると、まずリスニング能力が鍛えられるようです。

先生やクラスメートの会話を聞いて、そして反応や行動を見て、意味を想像する…ということを繰り返していたみたいです。

��Wash your hands. → クラスメートが手を洗う → 手を洗えって意味か という感じ)

入園後2,3ヶ月経った頃には、先生の指示や、普段お友達が話していることは、だいたい理解できるようになったようです。

しかし、聞いて意味を理解できる段階から、しゃべるようになる段階までは結構時間がかかりました。

長女の場合は6ヶ月程度。次女の場合はなんと15ヶ月

次女は15ヶ月の間、幼稚園では一言もしゃべらず、「うなずき(YES)」&「首ふり(NO)」だけで過ごしていました。

しかし、ある日、突然幼稚園でもしゃべりはじめたようです。しかもベラベラと。

担任の先生は翌朝興奮しながら報告してくれました。「嬉しくて嬉しくて、旦那にまで報告しちゃったわよ!」と



今では二人とも幼稚園で普通に英語をしゃべってます。そのせいか姉妹間の会話も英語混じりになってきてます。

当然、発音もすごく良く、たまに私は発音の違いを指摘されてます







こんなに細かく書くつもりは無かったのですが、つい力が入って長文になってしまいました。申し訳ありません。

我が家を例にして「家族の生活」を3日間に渡って書きましたが、留学生活をイメージする上での一助となれたら幸いです。





Masa

Class of 2012





補足

幼稚園と上では書いてますが、Clifton Schoolはデイケアで、1年目は長女はPre-Kクラス、次女は3歳児クラスに所属してました。

長女は今6歳で、本来ならキンダーガーテンに通う年齢なのですが、Clifton Schoolにキンダーガーテンが併設されていないため、

Pre-Kをもう一年やっています(留年?






2012年2月25日土曜日

家族の生活(奥様編)

Class of 2012のMasaです。昨日に続いて、家族の生活について書きたいと思います。



まずは我が家の家族構成をもう一度。

(渡米時33歳) 

理系院卒。金融機関に勤めること8年。日本生まれ日本育ち。コミュニケーション能力に自信無し(英語はもちろん、日本語でも…

(渡米時3○歳) 

英米文学科卒。でも英語は苦手。職場結婚後、専業主婦暦6年。人付き合いは上手な方だと思う。

長女(渡米時5歳) 

幼稚園に年少から通い、年中の一学期が終わったところで渡米。超人見知り。

次女(渡米時3歳弱) 

日本では未就学。天真爛漫。人見知りの兆候アリ。



日本では慣れない土地でもママ友を作って、ご近所付き合い等いろいろ上手くやってくれていた妻。

しかし加齢とともにバイタリティというかチャレンジ精神を失ってきた妻(笑)(でも本人談)。

大きな日本人コミュニティのないところで、英語が苦手な妻が子供二人抱えてやっていけるのだろうか・・・

といった漠然とした不安感を渡米前は抱いていました。





私はPre-MBAが始まる2週間前の6月中旬に渡米したのですが、長女の幼稚園の関係で、

妻と娘たちの渡米はMBAの秋学期スタート直後の8月上旬になりました。

この8月中は本当にきつかったです…

まず、子供たちの時差ボケが解消するまでに2週間くらいかかりました。

長女は5歳にも関わらず、夜泣きまでする始末。

私も学校が始まったばかりで余裕がなく、時差ボケで泣く子供をあやしながらケースを読んだりして、

予習を終えて床につくのが午前4時。午前8時からは学校…。

2年生はまだ夏休み中のため上級生の奥様方も不在で、平日は妻と子供たちは部屋に引きこもりっぱなし。

妻と子供の気分転換のために土日はなるべく近場の観光をするなど外出を心がけていたため、

予習時間が十分にとれず私は常に睡眠不足。夫婦揃って先行きに不安を感じていました





しかし、9月からは上級生の奥様方に連れられて妻の活動範囲も徐々に広がっていきました。

教会の無料英会話教室(ESL)に週2回、Spouseの会が週1回、

その他にも友達の友達を紹介してもらう形で妻の交友関係も広くなっていきました。

エモリーではMBA留学生の奥様方以外にも、お医者さんの留学生の奥様方がいます。

また、日本企業のアトランタ駐在員の奥様方も多数。

そのなかで気の合う人たちとつるんでよく遊んでいるようです。





ちょっと上手く文章がまとまらないので以下項目別で書いていきます。





妻の英会話 

「旅行英会話も怪しいレベル」⇒「旅行できるレベル」くらいには上達していると思います。

渡米後半年くらいは、驚くほど勉強していました。週2回のESLに加え、週1で個人家庭教師、

そして毎日3時間以上の自習!…しかし今ではもう飽きてしまった(諦めた?)ようで、週1回のESL以外はやっていません。

「習うより慣れろ」とはよく言ったもので、片言の英語で活発に活動しているので逞しさを感じます。

しかし今でも娘のデイケアの先生との会話は苦手なようです。



妻のゴルフ 

日本にいたときからゴルフを少しやっていたのですが、長女出産後はストップしていました。

しかし娘二人ともデイケアに預けて5年ぶりに自由時間ができたため、ゴルフを再開。奥様方でゴルフレッスンを受けてました。

今では奥様同士で、ごくたまにですが、コースも回っています。寒さに弱いので冬はお休みのようですが(笑)



妻の料理 

渡米後、料理のレパートリーが増えたようです。

ターキーの丸焼き、キッシュ、ラザニア、カリフォルニアロール、チーズケーキ…。

そういえば、ESLで知り合った韓国人の奥様に習って自家製キムチまで作ってました。



妻の手芸? 

日本では妻が手芸しているところなんて見たこと無かったのですが…。

こちらに来てから刺繍を始めました。その他にもトールペイントやリース作りもやっているようです(何気に完成度が高くて驚きます)。

奥様同士でおしゃべりしながらやっていて何やら楽しそうです。





妻の平日(今週)



月曜日: Presidents Dayのため娘たちのデイケアがお休み。娘たちの面倒を見ながら、刺繍の新作にとりかかる。



火曜日: Spouseの会に出席。終了後、仲のよい奥様方とランチ。お話は尽きず、そのままお茶。



水曜日: 我が家に奥様方を集めて、トールペイント。



木曜日: 教会の無料英会話学校に出席。奥様方とランチ。その後、我が家でイースター用のリース作成。



金曜日: 午前中はスーパーで買い物。午後は刺繍の続き(一旦着手すると止まらないみたいです)。





平日は子供たちをデイケアに長時間預けているため、日本にいたときよりも妻の自由時間が長いです。

マスターズを奥様友達と見にいってたときは羨ましかったです(平日だったため私は普通に授業受けてました)。

アメリカ生活に馴染めなくて引きこもりになってしまった時のために、任天堂Wiiを日本から持ってきたりしていたのですが、

杞憂に終わりました。充実した生活を送っているようです。





おまけ(妻の作品例



トールペイント(ハロウィーン用)





リース(イースター用)





次回予告:家族の生活(子供編)



Masa

Class of 2012

2012年2月24日金曜日

家族の生活

日本人受験生のキャンパスビジットが例年の数倍に上り、受け入れ側としては嬉しい悲鳴の今日この頃です。

受験生の皆様の中には、複数校に合格して、そろそろ行き先を決めなければ・・・という方もいらっしゃると思います。

行き先を決めるにあたり、既婚者の方々にとっては「家族の生活環境」も重要なパラメータの一つとなっていることでしょう。

参考になるかどうかはわかりませんが、我が家を例としてエモリーの生活環境についてご紹介します。



私の場合は、当初は自分のことだけ考えて受験校ポートフォリオを作ったのですが、

実際に合格してから急に家族のことが気になり始めました。ちなみにうちの家族構成は以下のとおりです。



(渡米時33歳)

理系院卒。金融機関に勤めること8年。日本生まれ日本育ち。コミュニケーション能力に自信無し(英語はもちろん、日本語でも…

(渡米時3○歳)

英米文学科卒。でも英語は苦手。職場結婚後、専業主婦暦6年。人付き合いは上手な方だと思う。

長女(渡米時5歳)

幼稚園に年少から通い、年中の一学期が終わったところで渡米。超人見知り。

次女(渡米時3歳弱)

日本では未就学。天真爛漫。人見知りの兆候アリ。



妻と娘たちがアメリカ生活に馴染めなかったらどうしよう…と少し不安に思い始めたのは、ちょうど今くらいの時期でした。

私は2月にキャンパスビジットをしたのですが、そのときは学校の雰囲気だけではなく、生活環境にも注目しました。

実は3校ビジットしたなかでエモリーは第三志望(笑)だったのですが、ビジット後に第一志望に急浮上しました。

要因のひとつは学校や学生の雰囲気の良さ(フィーリング)、そして、もうひとつは家族の生活環境でした。

以下に私がポイントとしたところを挙げていきます。





1.アトランタとエモリー ~大都会でもなく田舎でもない~

 アトランタ国際空港から車で30分ほど、位置的にはダウンタウンの北東にエモリー大学はあります。

 渡米前は「アトランタは大都市」というイメージを持っていたのですが、ダウンタウンを抜けると高い建物のかわりに緑が多くなります。

 エモリー周辺は閑静な住宅街といった雰囲気です。緑が多くても、それほど田舎ではなく、スーパーやレストランもたくさんあり、ほどよい感じです。

 「緑の多い田舎の大学に行きたい」と思っていたのですが、正直なところアメリカの田舎をなめてました。

 生活に不便さを感じるほどの田舎はちょっと…。その点、エモリーは、ほどほどなところが良かったです。



2.治安 ~思ってたほど危険ではない~

 家族持ちとしては治安は非常に気になるところです。残念ながらアトランタは全米のなかでも犯罪発生率が高いと言われています。

 しかし、実際には一部の危険な地域が都市全体の犯罪発生率を上げているという状況で、

 エモリー周辺は一応高級住宅地(?)となっているため危険な雰囲気はありません。朝夕は一人でランニングしている女性も見かけるくらいです。



3.気候 ~温暖で過ごしやすい~

 妻が寒さに極端に弱いため、私がニューヨーク州のとある大学に合格したときは、

 ネットで天気予報を調べてマークが7つ並んでいるのを見て凹んでました(笑)

 アトランタは南部にあるため、カリフォルニアやフロリダほどではありませんが、温暖な気候です。

 実際に住んでみると以下のような感じでした。



 春 

 短いです。冬が終わってダウンジャケットはもう要らないかなぁと思った翌週からいきなり夏になりTシャツで過ごすことになります。



 夏 

 長くて暑いです。5月くらいからプールに入れます。真夏は燃えるほど暑いというか熱いのですが、湿度が低いため日陰に入れば涼しいです。

 熱帯夜で寝苦しい…ということもありません。ほぼ連日晴天で、夕方にスコールのような雨が降ります。



 秋 

 秋も短いですが、紅葉を楽しむことができます。



 冬 

 東京ほど寒くないのですが、一日の寒暖の差が激しいです。日中は15度以上なのに朝晩は0度近い…といった感じです。

 雪は滅多に降らず、昨年めずらしく10cmほど雪が積もったときにはアトランタの都市機能が麻痺しました。



4.食生活 ~日本食材が普通に手に入る~

 日本の食材はたいていのものは手に入ります。味噌・醤油はもちろんのこと、おたふくソースも売ってます。

 カレーやシチューのルー、そば・うどん等の麺類も入手可能です。娘たちは頻繁に納豆を食べています。

 我が家の夕食は日本にいたときと大して変わりません。今日の献立は、ご飯、ワカメの味噌汁、ヒレカツ、サラダでした。

 そう言えば、魚率が下がって、肉率が上がりました。魚が高いわりにあまり美味しくない一方、肉が安くて美味しいのが原因です。

 朝食は我が家は元々パン派だったので、食パンからベーグルに変わったくらいです。





と、ここまで書いて疲れてしまいました(笑)

実際の妻と娘たちの生活について書いていくつもりだったのですが、続きはまた明日ということで。



Masa

Class of 2012