米国アトランタにあるエモリー大学ゴイズエタビジネススクール(Emory University Goizueta Business School)の日本人在校生によるブログです。

当校のプログラムやアトランタでの生活について書いています。

2011年4月27日水曜日

インドへの道 その2

だいぶ時間が経ってしまいましたが、無事インドに行ってまいりました。

ビザはなんと出発当日の家を出る数時間前に受領。本当に綱渡りでした。



そして残念ながらパキスタンルーツのある友人はビザを受領できず、

そればかりか申請してもう5ヶ月近く経った現在でもパスポートを返却されていないという

考えられない事態。インド時間がゆったりと流れています。



現地は、想像通りの異質な世界でした。

混沌という言葉がこんなにしっくりくる土地はそんなにないです。



まず道路。

どこの町でも、車線が有効に活用されているところはまずなく、

車と人力車・バイク・人・牛やらくだや象などの動物が入り乱れ、

クラクションをずっと鳴らし続けているのが当たり前。

そして、半端なく汚い。

町中ゴミがあふれていて、2階建てのベランダ部分ももちろんゴミだらけ。

地べたに食べ物を並べて売っている商人も大量にいましたが、

野菜とゴミの境目がなく、ちょっと日本人には抵抗があります。



ほかにも、大気汚染がすごくて都市では空がかすんでいたり、

水は歯を磨くにもペットボトル使用するのが当たり前だけど

ペットボトルもうっかりすると開栓済みだったりするので要注意。



マラリア対策で現地到着3日前から帰国後1週間内服薬を飲んだり、

同じく蚊対策で服の下にも高濃度の虫除けを塗りたくったり、

生野菜・フルーツはどんなに高級ホテルでも一切口にしないなど

ビビリ過ぎの感もあるほどの対策が功を奏してか、

何とか誰も大事には至らずに2週間過ごすことができました。

それでも、全員どこかのタイミングで腹痛やら熱やらにやられたのは

さすがインド。帰ってから体調を崩す子も多く、疲れと暑さとスパイシーな

食べ物に、体が対応しきれなかったのでしょう。かくいう私は多分うっかり

マンゴーラッシーを飲んだせいで3日目くらいに腹痛になりましたが、

約1日で治ったのでそんなにつらい思いはせずにすみました。



が、そんなネガティブな面を消してあまりあるインドの人口密度と活気。

近い将来人口世界一になる国の勢いを至るところで感じることができました。

そして知らなかった世界に素直に感動しているクラスメイトや若者たち。

マザーテレサのつくった孤児院で厳しい現実を目の当たりにして号泣してしまう

アメリカ男児、ガンジス川のほとりで人生観が変わったと目をきらきらさせている

バックパッカーの日本男児、珍しい訪問者に嬉々として近づいてくる村の子供たち。

感受性の豊かな者同士の交流を通じて、ますますみんな心が豊かになっていくのだな、と

しみじみ感心してしまいました。



先進国並みの生活水準になるのにはまだまだ時間がかかりそうですが、

10年後20年後にどうなっているのか非常に楽しみな、そんな国でした。



そしてもう一つの大きな収穫は、今更ながらアメリカ人の友人ができたことです。

今回の旅は私以外全員アメリカ国籍でアジア系も南米系も一切いなくて、

純粋アメリカ人の中にたった一人という経験は2年間でもあまりなかったので

なんだか不思議。今まで話したことのなかったクラスメートも沢山参加していたので

最初は名前すら分からず途方にくれましたが、2週間の共同生活で仲良くなることができました。

旅の最終日に日本で地震と津波が発生してインドのテレビでも大ニュースになっていましたが、

心の底から私の家族や友人を心配してくれる子たちばかりで、

アメリカに戻ってからのチャリティイベントなどにも積極的に協力してくれ、

インドに行って、この仲間たちと出会えて、本当に良かったな、と嬉しく思っています。



そんな仲間たちと過ごせる学校生活もあとわずか。

さみしいですが、一日一日を大切に、悔いのないように過ごしてゆきたいと思います。



Class of 2011

MM


2011年4月18日月曜日

アトランタの食事情

卒業まであと少し。少々早い気もしますが、アトランタ生活を振り返り始めております。アトランタ生活の中で、いい意味で期待を裏切ってくれたのが、食生活です



今回は、これからアトランタにお越しになるかもしれない方々のために、ほんの少しだけ、アトランタの食事情をご紹介しておきたいと思います。



・Supermarket

アトランタは全米でも最大規模の韓国人コミュニティが存在します。H-martやBuford Highway Farmers Marketなどの韓国系スーパーには本当に助けられました。まったく料理ができないため、詳しいことはわかりませんが、日本食はほぼ揃っていると思います。渡米後、明太子や納豆が販売されているのを見て、涙が出るぐらい(大袈裟?)嬉しかったのを覚えております



・Patak (http://www.patakmeats.com/Patak_Meats/Welcome.html)

アメリカはやっぱりお肉です。Patakはヨーロッパ系のお店のようですが、とにかく美味しいお肉がおどろくほど安い値段で売っています。アトランタ市街地からは少々距離があるので、奥様方は1か月に1度程度、買い出しにいっています





渡米当初、充実した食生活に満足して(妻のおかげでもありますが…)、外食もあまり行かなかったのですが、最近は、友人との交流も兼ねて、外食する機会も増えております。以下では、他の大都市に比べて、圧倒的に“安い”、アトランタの外食事情を少しだけご紹介します。



・庄や アトランタ (http://www.shoyaatlanta.com/)

アトランタには多くの日本食レストランがあります。けど、中には、日本食“風”レストラン、”Japanese”という看板だけ出しているレストラン(”Japanese”という響きは集客効果があるのでしょうか…)などもあるので要注意。地元の米国人お薦めの日本食レストランも悪くはないのですが、日本食というよりはアメリカンジャパニーズといった感じでしょうか。数多くの日本食レストランの中で、味、値段、雰囲気、全てのバランスが取れているのが、“庄や”です。一見、日本のあのチェーンを想像してしまうのですが、レベルの高いお店です。最近では、親しい友人たちを連れて、このレストランに繰り出すようにしております。さすがに、ピッキー(偏食)な友人を連れて行ったときは、カリフォルニアロールと焼き鳥しか手をつけなかったので、申し訳ない気持ちになりましたが、日本食=寿司、という間違えた概念をもっている友人達に対し、本当の日本食を教えてあげる貴重な文化交流の場となっております



・Umaido (http://www.umaidos.com/)

博多ラーメンのお店です。アトランタ市街地からはやや離れていますが、本格派ラーメンが食べられます。無類のラーメン好きの私を十分に満足させてくれるお店です。ラーメンの禁断症状がでたときは、ここに駆け込んでおります





その他、アトランタには、韓国料理、中華料理、ベトナム料理、インド料理などのお店が数え切れないほど存在しております。渡米当初、単身で生活している頃、片っ端からお店に入ったときには、とんでもない味に出くわすこともありましたが、アジアからの同級生からの情報などに頼ることで、美味しいお店にありつけるようになりました。





とまあ、友人と交流を深めつつ、自分の食欲を満たしてきたのですが、最近では、日本食レストラン紹介の御礼と称して、米国人の友人達が、米国あるいはアトランタの思い出となるようなレストランに連れて行ってくれるようになりました。が、行き先は、アトランタで一番大きいハンバーガーだとか、安くて大きいチキンが食べられるレストランだとか、まさに”量”を売りにしたところばかり







社会復帰に備えてウエストを絞るはずの計画が完全に狂ってしまいました。先日、学校のFormal Partyのため、久しぶりにスーツを着たのですが、まともな体勢では座れないほど、スーツがタイトになっております(スタンディング・パーティーで本当に良かった…)



本格的なスーツ着用まであと少し。スーツ新着という無駄なコストをかけないために、食欲に打ち克つ努力が必要なようです。



2011 an


2011年4月15日金曜日

娘も卒業!?

��年生の卒業式まで早いもので残りわずか3週間余りとなりました。MBAの授業も来週で修了とは未だに実感が湧きません。(ちなみに最終日はslope dayと呼ばれ、各自ユニークなTシャツを着たりして、朝から盛り上がります。)



渡米の時は1歳でヨチヨチしていた娘も今や生意気な口を叩き、以前とは違うアプローチで父と母を困らせてくれています。週5日通っている保育園では、ちゃんとやって行けるのかという親の心配をよそに、どっしりとお友達の輪の中に構え、一緒に遊び、喧嘩し、たまには先生に歯向かい、といった具合で適応できている模様です。



まだ、小さいということもあり、英語の習得については当初期待はしていませんでした。保育園での父母面談でも、最初は言葉少ななのを心配されたりしていました。(これには人見知りをする性格も影響しているのですが。)しかし、最近は様子が違います。家では確実に多くの会話が英語です。しかも流暢すぎて、親がpardon?を繰り返す始末。。。先日は2度目の父母面談があったのですが、会話能力について尋ねると、「相手の言うことは全て分かっているし、よく話しもする。英語はとても上手で全く問題ない」とのこと。入園当時からのお友達のお母さんも、娘がちゃんとしたセンテンスで周りと会話しているのを見たらしく、興奮気味に教えてくれました。3歳児は急速に会話を習得する時期らしいので、タイミングの問題でもあるのかとは思いますが、人見知りの娘が周りとオープンに会話できているというのは、先生やお友達、その両親等の方々に本当に可愛がっていただいているという証でもあり、感謝の気持ちでいっぱいです。5月に帰国することは先生に伝えてあるのですが、いつも本当に悲しそうに”miss you” や”don’t leave”と言っていただき、娘があと1ヶ月でこの保育園を離れなければいけないことを考えると、なんだか泣けてきました。



帰国前の記念という訳ではないのですが、先日は娘の希望でお誕生日会を開きました。1年前には、誕生日会をやりたいか娘に聞いても、恥ずかしいからか断っていたことを思うと、これだけでも大きな成長です。こちらで仲良くさせていただいている多くのご家族にご参加いただき、ここでも親子共々、周りの方々に本当に支えられながら生活できてきたことを、しみじみと実感しました。会では、家で散々練習したロウソクの火消しこそ失敗に終わりましたが、お友達とも遊びまわり、本当に楽しめたようです。



日本に帰ったら英会話力の大部分は失うことになるのでしょうが、心や体の奥底で、この経験が貴重な財産として残ってくれたら親としては幸せです。


2011年4月4日月曜日

こうけん

まだまだ連日地震関連ニュースが続いていますね。

死者・行方不明者数や、避難所生活を強いられている方々がどれほど多いかを知るほどに心が痛みます。



阪神・淡路大震災から約15年。

「予防」に関しては教訓が活かされなかったという意見も聞きますが、「復旧」「復興」に関しては経験を活かして頑張って欲しいと、同震災を経験したひとりとして切に思います。政府自治体には政治的思惑に左右されないスピーディーかつ効果的な復旧・復興支援を願います。





私どもMBA生でも何かできないかということで、先立っては募金サイトを立ち上げ、31日にはビジネススクールのみならずエモリーの日本人コミュニティの方々のご協力も得てチャリティイベントを開催しました。

ビジネススクール中心の案内でしたが、とてもたくさんの人たちが来てくれ、イベントは大盛り上がりでした。

先日のジャパントリップ参加者を中心にたくさんボランティアが協力を申し出てくれ、他国のことなのにみんな本当に心配してくれるんだなとつくづく感じました。









留学前は「アメリカ人は自己主張が強くて自己中心的」なんて思っていましたが、彼らがいかに「コミュニティへの貢献」に重きを置いているのかを改めて実感しました。と同時に、自分にとっての「コミュニティ」って何だ?とか、自分にはどういう貢献ができるのか?ということもっと考えねば、と思うようになりました。



��BAにおける日本人学生の貢献についてはいろいろ議論がありますが、ひとつ実感としてあるのは、貢献って決して格好良いものでなくてもいい、ということです。

グループワークでリーダーシップを発揮することだけが貢献ではなく、ミーティングルームの予約でも、ケースのブリーフィングでも、テイクノートでも、スケジュール調整でも何でも貢献で、みんな「やったこと」に対しては公平に評価してくれます。

ゴイズエタのコアバリューには「community」というのがあって、要はコミュニティへの貢献っていうことだと思いますが、ゴイズエタのカルチャーに非常に共感を覚える部分のひとつです。





もうすぐMBA生活を終えて仕事に復帰しますが、仕事人として、そもそもひとりの人間として何ができるのか。

「天命を知る」までにはもうしばらくありますが、MBA生活は私の生き様に大きな影響を与える20ヶ月でした(既に過去形)。





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