米国アトランタにあるエモリー大学ゴイズエタビジネススクール(Emory University Goizueta Business School)の日本人在校生によるブログです。
当校のプログラムやアトランタでの生活について書いています。
2009年2月6日金曜日
Goizuetaでの生活~其の二百四十
上の写真は授業で配られたハンドアウトです。
このハンドアウトの配り方というのは、文化の違いを如実に反映しています。
日本人から見ると、アメリカのハンドアウトの配り方はめちゃくちゃです。
教授はとりあえず手前の人間に渡し、それを適当に回します。
端の人間がとって、それを横に流し、残りを後ろに渡すというような発想はないのです。
日本人やそのほかのアジア人がそのようなことをしているのを見て、真似をする人がぽつぽつ出てくる、という感じです。
当然ですが、アメリカ流の配り方では大混乱が生じます。
特に複数のハンドアウトを一度に配ったときなどの惨状はひどいものがあります。
同じハンドアウトが同じ場所を何回も回っているかと思いきや、他のハンドアウトは回ってこないなど、それだけで授業時間が大幅に削られてしまうのです。
アメリカ人は、良い悪いの問題ではなく、自分のところに自分が持っているハンドアウトが回ってくると、とりあえず誰かに渡します。
そのときに、なぜかその人がもうそのハンドアウトを持っているかどうかとか、どこかにそのハンドアウトを探している人がいないかどうかなどは考えないらしいのです。
このあたりは小さな様で非常に大きな差だと思います。
しばらくすると、あちらこちらで、このハンドアウトがない、あのハンドアウトがない、と手が上がります。
そのハンドアウトは教室の端で眠っていたりするのですが。
というわけで、僕は、特に複数のハンドアウトが配られるときは、真っ先にとって出来るだけ自分で配るようにしています。
そうしないと時間ももったいないですし、自分にハンドアウトが回ってこない可能性が高くなるからです。
このあたりの非効率性は日本では考えられません。
今になって、小学校のころにプリントの配り方、回収の仕方を学校でしつこいほどに教えられたことの意義を感じているところです。
このあたりが、特に製造業における質の差になって出てくるのでは、と思ってしまいます。
教授によってはそのあたりをわかっていて、混乱が生じないように気を配ったりもしますが、ごく少数です。
文化の違いはいろいろありますが、いまだに受け入れられず、理解できない違いの一つです。