米国アトランタにあるエモリー大学ゴイズエタビジネススクール(Emory University Goizueta Business School)の日本人在校生によるブログです。
当校のプログラムやアトランタでの生活について書いています。
2007年12月22日土曜日
Final07-fall~其の六
本日は試験の続きです。
写真はhonor code(「授業紹介~其の十四」参照)です。
このhonor codeとは、Goizuetaの学生としてどのように行動すべきか、ということを規定しているものであり、orientationでhonor codeへのサインを全員でします。
まずhonor codeとは何か、そして、それがいかに大事か、ということを学校側が説明します。
そのサインは神聖なものであるため、サイン中は静粛を守らなくてはなりません。
大教室も一番前にhonor codeがおかれ、ひとりずつ前に出てサインをします。
いつもは大騒ぎの教室も、このときばかりは静粛が保たれます。
では、honor codeが実際に効果を発揮するのはどのようなときでしょうか。
それは、主に宿題やtake home examのときです。
つまり、同級生や先輩、その他の他人と協力しない、ということです。
僕は日本の大学を普通に卒業しているのですが、日本では試験以外は協力し合ったりするのは普通のことでした。
しかし、Goizuetaではそうではありません。
協力し合っても良いときはその旨が伝えられ、そうではないときはそうではないということがはっきり伝えられます。
そして、僕が知っている限りでは、協力し合ってはいけないときは協力し合うことはありません。
honor codeの主張はこうです。
「協力し合ってはいけない。」
「そもそもそのようなことをしては自分たちのためにならない。」
「そのようなことをすると学校の価値が落ちるので、最後には自分達にとって好ましくない結果になる。」
このように、いかに協力し合うこと、つまりカンニングをすることが非合理的なことかを強調します。
honor codeをより効果的なものにするために、honor codeを破ったときのriskもはっきり示します。
honor codeを破った場合は即刻退学になる可能性があり、実際そのような例は過去にあるそうです。
一学年150人から180人の中でたまにではあってもそのような処分が実際にくだされると、かなりインパクトはあります。
ここからは僕個人の意見です。
なぜ、honor codeが守られるのか。
それは、他の人がほとんどhonor codeを守っているはずだ、という共通認識があるからです。
成績は全て相対評価なので、自分だけ低い点数をとることだけは皆さけたいのです。
ましてそれが自分の相対的な実力を反映していないのであればなおさらです。
つまり、いい成績が欲しいのも確かではあるが、正当な評価をされることが大事である、とも考えている訳です。
処分の厳しさや、最初のサインによって、「これだけ厳しい規律なのだから、みんな守っているだろう。」と大体の人間が思っている訳で、その認識自体が大事なのです。
このhonor codeにより、授業の質、ひいては学校自体の質が保たれていると言っても過言ではないと思います。