もう数日たってしまいましたが、ニューヨークの続きです。
土曜日の昼も友人と会いました。
Major League Soccerに勤めている友人です。
こういう職種の違う友人と話すのは、将来を考える上でも非常に勉強になります。
夜はCarnegie Hallにピアノを聴きに行きました。
やっとニューヨークらしいことをしたという感じです。
Murray Perahia という人のピアノで、僕は音楽のセンスとかゼロなのですが、結構よかったと思います。
本日はここからささやかながら文化紹介をさせていただきます。
まず、Carnegie Hallそのものですが、手すりが低いです。
中2階のような感じの席だったのですが、ひざくらいの高さしかありませんでした。
自分が落ちるもの怖いのですが、パンフレットなどを落としそうで怖かったです。
下の人を怪我させたりしたら大変ですから。
そう考えると自分の上からいつものや人がおちてくるかもしれないと思い、ますます怖くなりました。
その分見通しはよかったです。
来場者全員がきちんと見えるようになっているのではないでしょうか。
そのあたりはとにかく安全第一の日本との差を感じました。
良し悪しではなく、優先順位が違うということですね。
席ですが、非常に席の間が狭く、びっくりしました。
日本のコンサートホールよりも狭いのではないでしょうか。
僕の周りはみんな非常に窮屈そうに座っていました。
飛行機の座席よりもずっと狭かったです。
何事にもスケールの大きいアメリカでは珍しいことです。
歴史を重んじて、改築などをしないからでしょうか。
あと、これも些細なことなのですが、1階の最前列の人が移動する際に平気でステージに手をかけます。
僕の認識では日本では絶対にしないと思うのですが、いかがでしょうか。
そのあたりはまったく気にしないようで、かといってコンサートそのものやピアニストを尊重していないということはないようです。
最後に個人的に改めて感じたことです。
ニューヨークという大都会であっても、コンサートが進むにつれて周りの人と仲良くなります。
演奏の間などに隣の人が、「さっきの曲はここがよかったな」などと話しかけてきて、そこから会話が始まります。
コンサートが終わったころにはちょっとした友達気分です。
ちなみにアトランタが南部だからか、大学内だからかはわかりませんが、Emory大学内では一切面識がない人でも通りすがりに挨拶をすれば挨拶が返ってこないことはまずありません。
目が合えば、必ず向こうから挨拶してきますし、僕も自分から挨拶をします。
それがニューヨークでは逆で、見知らぬ人と挨拶を交わすことはまずありません。
僕も今回何度か試してみたのですが、見事に一回も挨拶が返ってきませんでした。
そういう意味でもコンサートという場では開放的、社交的な気分になり、その場を楽しむことを重視するんだなあ、という印象を受けました。
次回でニューヨーク変は完結する予定です。
つづく